2025/07/03

Good Neighbors, Bad Times(2)


蒸し暑い中、村の旧シナゴーグは満席で、追加で椅子が運び込まれた位。

本からの朗読もあったのだけれど、これが意外によくて、もう読んで知っている内容なのに心に沁みて、最後は涙が滲んでしまった。
著者の心の動きのところで、笑いが漏れた部分があったけれど、いや、それ全然笑い事じゃないと思うよ。というのは、私がマイノリティ・外国人だからそう感じたのか。




85歳でアメリカから来るって、凄い。




付箋だらけの本に、私もサインして貰っちゃった。
感想を伝えたのだけれど、全然言い足りなかった!

* * * * *


真っ先に朝日が当たる場所。ここにナチスの鍵十字が立っていた時期がある。

それを見ないようにして暮らすなんて、考えられない!というのが後の世代の見方だけれど、社会全体での見て見ぬふりとか、「見たい事、聞きたい事」だけ情報として取り入れて、知りたくない事は蓋をしておくとか、今の世代も歴史の反省から全く学ばずに繰り返し、現代のSNSで更に拍車がかかってきているという気がする。

そして更に、個々人の中にも多面性(時には矛盾)があったり、後になると記憶が塗り替えられたりというのは人間の常で、そこに聞き手である著者の心の動きも作用して、言葉が紡がれる。

そういう事を改めて浮き彫りにしてくれた、この本に感謝。




これも本に登場する建物だと思う。
今度、詳しい人に聞きながら、本に出てくるところ巡りをしてみたい。

本の中で一人が語った事:「レキシンゲンの10-12家族の助けなしに私達は生き延びられなかっただろう。別の10家族は村のナチスで、私達を憎んでいた。その他の皆は、無関係に放っておいてくれた」
この「その他大勢」の存在に、凄く考えさせられた。迫害・嫌がらせしなければOKって訳ではないよね。でも、自分なしには生きていけない家族を抱えていたら、行動する勇気が出ないのも解る。

あと、「レキシンゲンのユダヤ人は一目置かれる、特別な存在だったから、迫害が少なかったのだ」というドイツ人識者の見解も書いてあった。
それって、今の私に繋がるなー。私も「特別な外国人」で、たとえ政治がそうなったとしても、村の人達から暴力とか本当に酷い事をされるのは、ちょっと考えにくい。そういう感じだったのかなあ、とか。




妹こぐまのクラスが、ユダヤ人墓地の掃除をした時の地元紙記事。


私自身はレキシンゲンを選んで正解だったと思う。
少し前に、医師の集まりでよその大きな街の先生と知り合ったら、「あ、あなた、レキシンゲンの!レキシンゲンの患者さんはいいねえ。地に足がついていて、良識があって。他の町と全然違う」と言ってくれた、そんな村。
このユニークな歴史と共に、よいところも、問題点も、見つめながら生きていきたい。

余談だけれど、村の体育館で時々食事会があって、各団体が資金集めも兼ねてやっている。先週は旧シナゴーグ保存会の番だったので食べに行ったら、注文を取りに来たウェイターが、ホルプ市長さん(レキシンゲン住民)だったよ。
ま、私もお祭りでたいやき焼いて、患者さんにびっくりされた事あるもんね。








1 件のコメント:

  1. テーマはズレと思うのですが、世の中が右の方向に少しずつ向かっているようで、時々これから先はどうなるんだろう?と思うことがあります。例えばドイツならナチスを現実的に知らない世代が増えれば増えるほど。日本でも同じで、例えば外国人は観光であれば「ようこそ」だけれど、住むとなれば、また別の話と思っている人々が多くなっている様に思います。なんだか上手く言えないけれど....。

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