2024/11/17

図学の思い出(2)とドイツ文学の卒論


私の卒業した大学では、卒論はドイツ語で書かなければならなかった。教養ドイツ語でABCから始めた初心者なのに、である。それで、「本棚に立てて背表紙が見える厚さ」というのが、皆の目標というか夢だった。
当時はまだコンピューターが普及していなくて、独文独語の教室にあったコンピューターは黒画面に白文字の一太郎で、フロッピーディスクもべろーんと薄くて大きなやつ。
だから人文学部の日本語の卒論は、手書きかせいぜいワープロが主流だった。独文独語は独文タイプライターで書くというのも、ちょっとしたステータスというか、上級者というか。
(そもそも2年生で学部に上がる前の春休みに、強制参加で何日間かタイピングの練習をさせられた。)

でも、私立大の姉は、大学のマッキントッシュで英語の卒論を書いていて、その素晴らしい出来栄えに感激した私は、私もそういう卒論にしたいと思っていた。
何が格好いいって、まるできちんとした本みたいに美しい印刷だし、引用の時にフォントを変えたり、脚注もつける事ができる!脚注の量によって本文の量が調整され、ページがちゃんと埋まる。単語間も調整され、行の終わり(右端)もきれいに揃えられる。自動的にページ数がつく。
そんな今では当たり前の事が、もの凄くプロっぽいというか、大人!という感じだったのよ。

私は地質学部に通い詰めていて、そちらではウィンドウズが日常的に使われていた。それでお伺いしたら、先生の研究室のコンピューターを使わせて頂ける事になった。
下宿で手書きで原稿を書き、研究室に持って行っては打ち込む。フリーズしたら延々と待ち続けたり(電源を切ってはダメだった時代)、まだドイツ語入力ができなかったので、ウムラウト(ÜÄÖ)とかエスツェット(ß)とかは記号として入力したり。プリントアウトも、いちいちコンピューターが考え込んで、めっちゃ時間が掛かった。
先生が休憩の声を掛けて下さると、いそいそとコーヒーを淹れ、少し前にちゃんと冷蔵庫から出しておいてあったチョコレートがつくのが楽しみだった。

本当は私はカフカやボルヒェルトが大好きだったのだけれど、将来ドイツに行きたかったので、卒論はマイナーじゃないテーマの方がいいと思って、シラーにした。
文献は、ドイツに語学短期留学した時に、本屋巡りをして買い集めた。当時は手荷物には重量制限がなくて大きさ制限だけだったので、手荷物として許されている大きさのバッグの中身をぎっしり本にして、持ち手が千切れそうになりながら、持ち帰ってきた。

ドイツに持って行っても恥ずかしくないようにと、ドイツ人の先生に添削をお願いしたのだけれど、もの凄く大変だったと思う・・・というか、共著位になっていたかも。恐縮至極ー。
それで、夜更けに原稿を持って先生宅を訪れて推敲して貰い、早朝誰もいない研究室に合鍵で入って直したり。




「人間性と道徳 シラー『群盗』に於ける人格構造」 51ページ也。
中身は今読むとお恥ずかしい赤面ものだけれど、本当に寝ても覚めてもで、頑張ったのだ。

当時の私の自己ルールは:
  • 卒論を読書感想文にしない。論文と名が付くのだから、何か一つ、独自のアイデアというか論を出す。
  • 卒論は大学4年間の集大成だから、地質学とか図学とか、好きで頑張ったものも取り入れたい。

・・・で、やっちゃいました。
人格構造を、幼少時を核とする積み重ねの堆積層のようにたとえ、性善説や性悪説と比較しながら、登場人物の行動や深層心理を分析した(つもり)。




卒論を書くのでもうボロボロだったし、図学の課題じゃないので、ささーっと製図してスクリーントーンも使って。

卒論審査の時にこれらの図のことを「君はコンピューターを使える事を披露したかったのね」と言われ、「いえ、それ手描きです」と言ったら、「ええーっ?!」と目を剥いてまじまじと凝視されたのも、忘れられない。

若気の至りで、恥ずかしくも懐かしい思い出です。





2024/11/13

図学の思い出(1)


日本で高校を卒業し、大学の教養部に上がった私は、「好きな講義を選んでいい」という事に有頂天になった。受験のためとか、好きでもないものを嫌々とか、与えられた科目を無理強いで勉強しなくていいんだ!

そして選んだものの一つが、図学。
道具にお金がかかるので(確か当時でもセットで2万円位したと思う)、恐る恐る親に訊いたら、あっさり「いいよ」と言ってくれて、大喜びで受講する事にした。工学系の必修講義で文系学部生はまず取らないので、教官にも「えー、本当にやりたいの?大丈夫?」と訊かれた位、前代未聞に近かった。

提出する課題が凄く大変で、毎回何日掛かりかでやった。お手本の通りに製図するだけなんだけれど、まずはお手本を理解して、描いていく順番を解読しないといけない。「一体どっからこの線が出てくるの?!」というのも、しょっちゅう。ロットリングで墨入れ(というんだっけ?)する時は、息を止めて一本ずつ線を入れて行く感じ。

でも、ステッドラーの製図用具が素晴らしくて、びしっと描けるのに酔いしれた。
義務教育の時、コンパスで描く円がずれるのとか、線の太さが変わるのとか、コンパスの針で紙に穴が開くのとか、長さをきちんと測ろうと思っても定規の厚みのせいで上手くいかないのとか、定規で線を引くと擦れるのとか、本当に本当に嫌だったの。

ところがその先生が、講義で黒板に描く製図の美しさと言ったら!
チョークも、木製の大きな定規やコンパスも、あんなに不正確なのに、ぴしーっと決まる。「弘法筆を選ばず」とはこういう事か、と思った。

先生は絵を描かれる方で、私の課題をしみじみと眺めて「くまくん、君のは絵心があるねー」と仰って下さったのが、最高の誉め言葉で、今でも忘れられない。

* * * * *

物置きを整理していたら、課題が出てきた!
A4より僅かに大きいのか、スキャンするのに縁が少し切れてしまうのだけれど。日付が書いていないので、順番は大体です。




これは、初めての曲線に苦労したのを覚えている。

因みに、教壇で待つ先生のところに行列を作り、一人ずつ課題を見せていくのだけれど、先生は一瞥したら判るらしく、理解できなくて適当な線を入れようものなら、即座に指摘される。
そして合格だと「ま」とサインしてくれるのだけれど、工学部の友人はそれを「悪魔のま」と呼んでいた。何とかこれを消して使い回しできないものか・・・と知恵を絞っても、それは絶対に無理なんだな。













私は図学では優等生となり、試験の前は私の下宿いっぱいに、入れ替わり立ち替わりで学生が集まって、勉強会をした。
なのに私自身が一問、初歩的な問題でうっかりミスをして、教官に「あれ?くまくん、間違えたね」と言われてしまった。
(私って、いつもそう。高校の頃から、どれだけ頑張っても満点が取れない、残念な子だったのだー。)

製図用具は結局ドイツまで持って来てある。





2024/11/10

働けど働けど


マイナスからちゃんと抜け出せないまま、ボーナスの時期が来てしまった。
本当はクリスマス食事会までには何とかして、一泊でアルザスのクリスマス市に行く予定だったんだけれど、流石にそこまでの余裕はできず、キャンセルして普通の食事会に。でもボーナスはちゃんと出すぞー(大盤振る舞いはできないが)。
幾ら今苦しくても、だからと言って経費を削り過ぎると税金の後払いが増えるだけだろうし。落ち着くまではその辺の加減の見当がつかず、難しいところ。

この1年間は本当に節約、節約・・・で生活したけれど、なかなか完全には浮き上がらない。やっぱりローンがそれだけ巨額だという事だろうな。
でもね、昨冬に方向転換する前は、月々の収支が少しずつマイナスに動いていったのが、今はほんの少しずつだけれどプラスに動いている。もう少しちゃんとプラスに動いてくれると、息がつけるようになるんだけどな。(「プラス」「マイナス」と言っても、前払いや後払いの分があるので、実際のところはなかなか判断が難しい。)
兎に角、あの崖っぷちを持ち堪えて危機を脱出しただけでも、偉いぞ、私!それに、11月・12月はラストスパートで当番医バイトを入れまくってある。あとひと踏ん張りだ。

「働けど働けど」なんて、あんた、ぢっと手を見るだけで、まともに働いてないやんかー!どの口が言う?!と、ケリを入れたくなるわ。





往診当番の時のドライブレコーダーより。
夜の田舎道とか、家の感じとか、ちょっと珍しいかなと思って、ご紹介。
森の中の心細い感じとか、なかなか抜けないうんざり感とか、体験してみて下さい。(画質の悪い方は、右下の歯車の画質設定でHDを選んでね。)




お疲れ様のウィーン風カツレツ。夫が初めて作ってくれた!





2024/11/07

3本の万年筆


初めての万年筆は、中学生の誕生日に貰ったもの。うちは、これを貰うのが大人への一歩という感じで、夢に見た位嬉しかったのを覚えている。


その1本(右)と、その後父のコレクションから選ばせて貰った2本。

最近は手書きする機会がめっきり減り、使わないとすぐにインクが乾いて固まってしまうので、万年筆から離れていた。
でも、大事な書類にサインする時、粗品のボールペンというのがいつも気が引けて、万年筆の方がやっぱり格好がつく。それで久しぶりにインクを入れてみようかなと、秋休みに3本ともきちんと洗って乾かしてみた。確かどれも、インクを吸い上げるところが漏れたりして、使いにくくなっていたんだよな。修理・交換が必要なのかどうか、確認してみなくちゃ、と。




3本並べて乾かしていたら、やっぱり美しいなーと、しみじみ。

(右)アメリカ、SHEAFFER。一体型の流線形が惚れ惚れする美しさで、安定していて一番書きやすいと思う。

(中)日本、SAILOR。1911年モデルの復刻版なのかな?どっしりとした太字で、これで原稿用紙のマスを埋めると、如何にも凄いものを書けているような気分になれて、私は「文豪」と呼んでいた。

(左)フランス、WATERMAN。もっと細かい字が書けるのが欲しくて、これを選んだ。

余談になるけれど、日本語とアルファベットでは、書きやすい筆記用具というのが全く違うのよ。
日本語は書きやすいのに、アルファベットで下から上に書く線が引っ掛かってスムーズにいかなかったり。逆にアルファベットは書きやすいのに、日本語はボケボケになってカチッと書けなかったり。

それで3本ともインクを入れてみて、今の気分はSAILORで決定。
SHEAFFERは記憶の中ではもっと太かったのだけれど、今書いてみると意外に線が細かった。と言うか、恐らく昔はもっと細かい字を書いていたんだろうな。書類にサインするのは太目の方が貫録があるのよね。

私は万年筆以外の筆記用具には全く心動かされず、上等なのを貰っても猫に小判で、結局なくしたり壊してしまったり(ごめんなさい・・・)。
そして万年筆が好きと言っても、集めたいとは全く思わない。この3本を使い分けるので、一生いけるわー。


彼女がパリの万年筆専門店で、縦に試し書きをして咎められた話しが出てくる。滑りがよくやわらかい太字の万年筆が好きだというの、それ、正に、SAILORを選んだ今の私の気分。





2024/11/05

秋休み中にやった事(医院編)


一週間の秋休みが済んだら、怒涛のような仕事量に追われています。
月曜日は最後の患者さんが帰ったのが21時頃で、それから事務仕事を片付けていたら23時迄かかり、火曜日は朝7時開始なので6時半には準備を始め、そこから11時間ぶっ通し。
でもまあ、飽くまでも自分のペースで働いているので、大丈夫。

* * * * *

秋休みには、医院の中もちょこちょこと小さな改善をしました。




医療用のものって、阿呆みたいに高い事が殆どなのだけれど、消毒液を使える表面じゃないといけないので、他に選択肢はない。
こんなただの合板の、取っ手はプラスチックのちゃちな引き出しが、二百数十ユーロもするのよ
しかも、届いて組み立ててみたら、なんと背板がなくて、「そんなん、あり?!」と愕然とした。つまり、引き出しの後ろはパーパーに開いているので、きちんと密閉したものしか入れられなくて、使いにくいったら。

ホームセンターで背板を買おうと思っても、きれいに切るのがまた難しいし、切れ端がゴミになるしねえ。
で、悩んでいたのだけれど、ふと思いついてインターネットで検索したら、PVCパネルを安くで特注できるやん!サイズや厚みはミリ単位で指定できるし、必要ならネジ穴を開けて貰ったり、角を落としてもらったりもできる。




残念ながらまたもビフォーを撮り忘れたけれど、アフター。
これでやっと、普通の使い方ができるー。

* * * * *

うちの医院には中扉があって、「中扉が閉まっている時は、待合室で座ってお待ち下さい」というルールにしてある。


ところが待合室(写真右奥)には死角があって、きちんと入り口まで行かないと全部の席が見えない。
受付での話しが聞こえないよう、中扉を活用して頻繁に閉めたいのに、その度に覗きに行かないといけなくなってしまう。
それに一人で医院を回す時には、片付けて次の準備をする前に、次の人が待っているかどうか、ちょっと覗いておきたい時が結構あるの。

それで、廊下にインテリアっぽい凸面鏡を付けてみた。
凸面鏡って、万引き防止とか工場みたいな感じのが殆どで、なるべく華奢で目立たないものを探すのに苦労した。




これで、中扉からちょっと顔を出せば、全部の席が見えるようになった♪
本当はシルバーの縁がよかったのだけれど、流石に見つけられなかった。でもまあ、すぐ上の写真額の縁が黄色なので、まずまずか。

という感じで、あちこち、ちょこちょこ。こういう小さな事でも、探して、注文して、支払いして、届いたら設置して・・・と、いちいち手間がかかるので、普段はつい後回しにしてしまうの。少しずつでも片付いて、嬉しい!