私の卒業した大学では、卒論はドイツ語で書かなければならなかった。教養ドイツ語でABCから始めた初心者なのに、である。それで、「本棚に立てて背表紙が見える厚さ」というのが、皆の目標というか夢だった。
当時はまだコンピューターが普及していなくて、独文独語の教室にあったコンピューターは黒画面に白文字の一太郎で、フロッピーディスクもべろーんと薄くて大きなやつ。
だから人文学部の日本語の卒論は、手書きかせいぜいワープロが主流だった。独文独語は独文タイプライターで書くというのも、ちょっとしたステータスというか、上級者というか。
(そもそも2年生で学部に上がる前の春休みに、強制参加で何日間かタイピングの練習をさせられた。)
でも、私立大の姉は、大学のマッキントッシュで英語の卒論を書いていて、その素晴らしい出来栄えに感激した私は、私もそういう卒論にしたいと思っていた。
何が格好いいって、まるできちんとした本みたいに美しい印刷だし、引用の時にフォントを変えたり、脚注もつける事ができる!脚注の量によって本文の量が調整され、ページがちゃんと埋まる。単語間も調整され、行の終わり(右端)もきれいに揃えられる。自動的にページ数がつく。
そんな今では当たり前の事が、もの凄くプロっぽいというか、大人!という感じだったのよ。
私は地質学部に通い詰めていて、そちらではウィンドウズが日常的に使われていた。それでお伺いしたら、先生の研究室のコンピューターを使わせて頂ける事になった。
下宿で手書きで原稿を書き、研究室に持って行っては打ち込む。フリーズしたら延々と待ち続けたり(電源を切ってはダメだった時代)、まだドイツ語入力ができなかったので、ウムラウト(ÜÄÖ)とかエスツェット(ß)とかは記号として入力したり。プリントアウトも、いちいちコンピューターが考え込んで、めっちゃ時間が掛かった。
先生が休憩の声を掛けて下さると、いそいそとコーヒーを淹れ、少し前にちゃんと冷蔵庫から出しておいてあったチョコレートがつくのが楽しみだった。
本当は私はカフカやボルヒェルトが大好きだったのだけれど、将来ドイツに行きたかったので、卒論はマイナーじゃないテーマの方がいいと思って、シラーにした。
文献は、ドイツに語学短期留学した時に、本屋巡りをして買い集めた。当時は手荷物には重量制限がなくて大きさ制限だけだったので、手荷物として許されている大きさのバッグの中身をぎっしり本にして、持ち手が千切れそうになりながら、持ち帰ってきた。
ドイツに持って行っても恥ずかしくないようにと、ドイツ人の先生に添削をお願いしたのだけれど、もの凄く大変だったと思う・・・というか、共著位になっていたかも。恐縮至極ー。
それで、夜更けに原稿を持って先生宅を訪れて推敲して貰い、早朝誰もいない研究室に合鍵で入って直したり。
「人間性と道徳 シラー『群盗』に於ける人格構造」 51ページ也。
中身は今読むとお恥ずかしい赤面ものだけれど、本当に寝ても覚めてもで、頑張ったのだ。
当時の私の自己ルールは:
- 卒論を読書感想文にしない。論文と名が付くのだから、何か一つ、独自のアイデアというか論を出す。
- 卒論は大学4年間の集大成だから、地質学とか図学とか、好きで頑張ったものも取り入れたい。
・・・で、やっちゃいました。
人格構造を、幼少時を核とする積み重ねの堆積層のようにたとえ、性善説や性悪説と比較しながら、登場人物の行動や深層心理を分析した(つもり)。
卒論を書くのでもうボロボロだったし、図学の課題じゃないので、ささーっと製図してスクリーントーンも使って。
卒論審査の時にこれらの図のことを「君はコンピューターを使える事を披露したかったのね」と言われ、「いえ、それ手描きです」と言ったら、「ええーっ?!」と目を剥いてまじまじと凝視されたのも、忘れられない。
若気の至りで、恥ずかしくも懐かしい思い出です。