蒸し暑い中、村の旧シナゴーグは満席で、追加で椅子が運び込まれた位。
本からの朗読もあったのだけれど、これが意外によくて、もう読んで知っている内容なのに心に沁みて、最後は涙が滲んでしまった。
著者の心の動きのところで、笑いが漏れた部分があったけれど、いや、それ全然笑い事じゃないと思うよ。というのは、私がマイノリティ・外国人だからそう感じたのか。
真っ先に朝日が当たる場所。ここにナチスの鍵十字が立っていた時期がある。
それを見ないようにして暮らすなんて、考えられない!というのが後の世代の見方だけれど、社会全体での見て見ぬふりとか、「見たい事、聞きたい事」だけ情報として取り入れて、知りたくない事は蓋をしておくとか、今の世代も歴史の反省から全く学ばずに繰り返し、現代のSNSで更に拍車がかかってきているという気がする。
そして更に、個々人の中にも多面性(時には矛盾)があったり、後になると記憶が塗り替えられたりというのは人間の常で、そこに聞き手である著者の心の動きも作用して、言葉が紡がれる。
そういう事を改めて浮き彫りにしてくれた、この本に感謝。
これも本に登場する建物だと思う。
今度、詳しい人に聞きながら、本に出てくるところ巡りをしてみたい。
本の中で一人が語った事:「レキシンゲンの10-12家族の助けなしに私達は生き延びられなかっただろう。別の10家族は村のナチスで、私達を憎んでいた。その他の皆は、無関係に放っておいてくれた」
この「その他大勢」の存在に、凄く考えさせられた。迫害・嫌がらせしなければOKって訳ではないよね。でも、自分なしには生きていけない家族を抱えていたら、行動する勇気が出ないのも解る。
あと、「レキシンゲンのユダヤ人は一目置かれる、特別な存在だったから、迫害が少なかったのだ」というドイツ人識者の見解も書いてあった。
それって、今の私に繋がるなー。私も「特別な外国人」で、たとえ政治がそうなったとしても、村の人達から暴力とか本当に酷い事をされるのは、ちょっと考えにくい。そういう感じだったのかなあ、とか。
妹こぐまのクラスが、ユダヤ人墓地の掃除をした時の地元紙記事。
私自身はレキシンゲンを選んで正解だったと思う。
少し前に、医師の集まりでよその大きな街の先生と知り合ったら、「あ、あなた、レキシンゲンの!レキシンゲンの患者さんはいいねえ。地に足がついていて、良識があって。他の町と全然違う」と言ってくれた、そんな村。
このユニークな歴史と共に、よいところも、問題点も、見つめながら生きていきたい。
余談だけれど、村の体育館で時々食事会があって、各団体が資金集めも兼ねてやっている。先週は旧シナゴーグ保存会の番だったので食べに行ったら、注文を取りに来たウェイターが、ホルプ市長さん(レキシンゲン住民)だったよ。
ま、私もお祭りでたいやき焼いて、患者さんにびっくりされた事あるもんね。
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