2025/08/19

庭の恵みと二週末の食卓


土曜日の朝は、起きてすぐに草刈り。夜露で湿った草は器械に詰まって刈りにくいのだけれど、カンカン照りの中で刈るより、ずっといい。日曜日は安息日で、大きな音を出す器械を使うと顰蹙を買うので、週日にできない私は土曜日が勝負。
充電池4個分で、4000歩位。斜面だし、幾ら軽いと言っても草刈り機を押したり引いたりし続けるので、いい運動になるよ。




取り敢えず、歩く道だけ作った。道がないと、果樹の様子を見に行くのすら億劫になって、色々逃すので。

本当は全体をお花畑にしたいのだけれど、もともとの草が強過ぎて、何度種を蒔いても育たない。もっときちんと耕して始めないと駄目か。




庭の幸水が初めて実をつけました。まだ木が小さいし、摘花していないから、小さな実だけれど。




早々と、味見。
持続的・小まめな世話が苦手な夫だけれど、食べた途端に「うわっ、おいしい!これ、ぼくの大好きな木だ!」と、重視してくれるようになった。

でも、幸水と同時に植えたアプリコットの木が、影も形もなく消えていて、大ショック。結構大きくなっていて、そろそろ実りそうだったのに! 嵐で倒れたのに気付かずに、朽ち果てたのかなー。
これも、一度食べたら絶対に大事にしてくれただろうに・・・。

どうせ、枯れたり倒れたりしてしまった老木が何本かあるので、秋にまた苗木を買うか。




買ってきたパイナップル、スイカ、苺と一緒に。




グリル。ズッキーニは勿論、庭でとれたの。




〆の焼きマシュマロ。




妹こぐまに「久しぶりに食べたい!」と言われて、カイザーシュマーン。庭のりんごで作ったりんごピューレをたっぷり添えて。




今年はおかしな天候で、最初に実ったトマトのお尻が黒くなって駄目になってしまったりしたけれど、やっと。

* * * * *

近年は途中で世話ができなくなる事が多くて、まともな収穫まで辿り着いたのは、かなり久しぶり。これができたという事は、私にちゃんと余裕があるという事で、私は大丈夫だと思える。

今年は「無理せず、できる範囲でやろう」と決めたのと、自分で草刈り機を使えるようになったのが、勝因だったかな。畑も、必死に雑草を抜こうとせず、野菜に絡みつくの以外は、全体的に草を刈るだけ(日本の友達が抜かなくてもいいと言っていたので、やめてみた)。

家庭菜園をやっている人は、凄く高齢でも、身体も心(頭)もしっかりしている人が多いので、私も頑張ろう♪





2025/08/15

長い長い話し(2)



前回の続き)

その後、またプチ別居。
約束は、悪徳商法の如く言葉の隙をついて「故意にそういう表現をしたのだから、破っていない」と言い抜けられ。あ、そう、最初からそのつもりだったんだ。

それでもう、初めて、結婚指輪も外した。酔いの合い間に謝って懇願してきても、将来の夢物語を聞かされても、もう一切無視。
私のサポートなしには彼の体調自体も悪くなるのは判っていたけれど、それはもう仕方がない。

あんなにパパっ子だったこぐま達が、いつしか私の側につき、初めて「ママ、ぼく(わたし)のためなら、もう待たなくていい。別れていいよ」と言った。どんなに、何度裏切られても、それは言わなかったのに、遂に。
こぐま達がそこまで至った心の中を想像すると、本当に胸が潰れる思いになるけれど、こぐま達の心の整理がついたのなら、もう何も待つ必要はない。

それで、義家族にも現状をばらした。
普通にばらすとまた恨まれるので、「偶然」来て貰って、露見させ。
書類を作り始めたり、義家族とも話し合いを重ねたり。

私も流石にもう吹っ切れていて、別れようと決めたら、心が軽くなった。期待を捨てたら傷付かなくなったし、もう何とかしようとしなくていいので、ぶつかる必要もなくなって、心も擦り減らない。
しかも、少し前ならこぐま達は私についてきてくれなかったかも知れないのが、今ははっきり私の側についてくれるようになったので、それなら幾らでも頑張れる。

こぐま達の心を慰めるべく、せっせと遊びに連れ出したり、夏休みの遊びの計画を立てたり。

* * * * *

それがまあ、色々あって、また結婚指輪をはめ、3人分で立てた遊びの計画に、もう一人分を追加しているところ。
長年の友人知人や読者さんからは「なーんだ・・・」とがっかりされそうだけれど、セ・ラ・ヴィ。

でも今回は、こぐま達の心が離れたのを知って、相っ当堪えたみたい。酔いの合い間の長文チャットにも、もう誰も耳を傾けなかったどころか、初めて私の代わりにこぐま達からコテンパンに言われていたし(それ迄は、こぐま達はコロリと言いくるめられていた)。しかも義家族からも突き放され。

それでもう正に絶望のどん底にいたのが、チャンスを貰えると知って、今は本当に頑張っている。

流石にもう一度繰り返す気にはなれないので、一筆書いて貰う事にした。
ドイツでは口約束でも法的には有効なのだけれど、紙があった方がいいもの。

* * * * *

ドイツでは、依存症患者とその家族の長期的なケアは、家庭医の仕事。
たとえ入院治療に持ち込めても、退院して日常に戻り、何年何十年と付き合っていく訳で、精神科医やセラピーに行くのはせいぜい1-3箇月に1回とかなので、もっと近い立場で家庭医がケアする。

あと、これは知らない人が結構多いのだけれど、依存症で強制入院はさせられない。たとえ住居をめちゃくちゃに荒らして正体なく酔い潰れていて、救急車や警察を呼んだとしても、誰かの命の危険がない限り、連れて行ってはくれない。これね、家族は本当に絶望する。そういうところに往診したり。

病院と違って、家庭医は断れない。最後の最後まで付き合う。それもあって、私は切り捨てるのが苦手なのかも知れない。


アル中と言うと、お酒が好きで、飲んでいるうちに度を越して、それが毎日になって、いつしか依存症になってしまうイメージかも知れない。
でも、私の知っているアル中患者の大半は、そのタイプじゃない。
何かしらの生きづらさを抱えていて、その生きるか死ぬかという位の苦しさを、アルコールによって一瞬忘れる事ができる、別世界に逃げる事ができる、それで繰り返してしまうという、濫用タイプが多く、うちもそのくち。
(それが根本の解決にならないというのは、本人も重々承知している。そして酔いが覚めた時に自己嫌悪に陥って、現実世界がより辛くなるという、負のスパイラル付き。)

だから、その気持ちはわかるし、世渡り下手な「いい人」がそうなってしまう事が多い。
それでも家族にとっては、全世界と一緒に自分達の存在までシャットアウトされてしまうので、毎回毎回それを突き付けられると、精神的に凄くくるものがある。
特に子どもに対して、それだけはやっちゃいけないでしょ、と思う。


うちの場合、本人がその気になれば、離脱(禁断)症状なしに絶てるし、コントロールもできるので、そういう意味でのアル中・依存症ではなく、別の意味での依存なのね。

それなのに何故繰り返してきたのかと言うと、本人が非を全く認めていなかったから。毎回、意図的に手を出している感じで、「この、寝ても覚めてもの苦しみから、一瞬でも解放してくれる手段があり、合法で、誰に危害を及ぼす訳でもなくて、何故それがいけない」「どうせ具合が悪くてベッドから起きられなくて、何もできない状態には変わりないのだから」という考えかな。
しかも本人は「凄く近い将来(来週とか、2、3日後とか、明日とか!)には治療の成果が遂に出て、元々の苦しみがよくなる」と思い込んでいて、だから、そんなあと僅かな期間の事なんだから、飲んでも構わないだろう、と。その「効果デルデル詐欺」が既に延々と続いていたものの、それが彼が生き延びるための僅かな希望の光になっていたので、ツッコミを入れて現実を突きつけるのも難しく。

でも、あなたはそれで、私達の事までシャットアウトしている事になるんだよ。そして私達の社会生活を壊していくんだよ。どうせシャットアウトするのなら、私達は要らないよね。私達の目の前でなく、この土地を出て、遠く離れたところでやって。という家族の視点を、今回やっと解ってくれたみたい。

前は、そう思っていないけれど仕方なく口にしていたのが(それでも、その前は口が裂けても言わなかったので、当時としては大進歩だった)、今回は初めて非を認め、本人がその気になり、議論する事も殆どなく、私の言い分に全面的に同意した。

実際今は、元々の原因の治療の成果が本当に遂に出て(詐欺じゃなかった!)、体調も突然凄くよくなったのだけれど、「よくなってきて、もう必要ないから、やめる」では嫌だ、と、しっかり言っておいた。それなら、また悪い時が来たらやってもいいって事でしょ。「そんなの、もう来ないよ」と笑うのを、いや、人生には何が起きるか判らないからね。たとえ悪い時が来ても、手を出したら問答無用でおしまいにするよ、というのを、相当しつこく念押ししておいた。

* * * * *

和解(?)した日、本当に本当に久しぶりに、家族揃って晩御飯を食べた。

これまた凄く久しぶりに作ってあった、辰巳芳子さんのボロネーゼソース。時間をかけて丁寧に作ったものって、そういう味がして、心と体に染みわたる感じがする。偶然なのに、ぴったりの献立だった。
山盛りの人参サラダを添えて。

妹こぐまは目を閉じてうっとりしながら食べ、珍しくお代わりまでし、夫は恐らく幸せを噛みしめながら、ゆっくりゆっくり味わって食べていた。
兄こぐまは何度も何度も、翌日になっても、「ママのあのソース、凄くおいしかった!」と言ってくれた。

写真は敢えて撮らなかったけれど、あの幸せなごはんは、きっと全員の心に残るに違いない。

サポートは続ける事にしたけれど、長い長い戦いは、これでおしまい。私は、もう、戦わない。
そんな一筋縄でいく筈がないから、これで終わりではない、手放しで「よかった!」と喜べる訳ではないけれど、ひとまず大きな一段落。

* * * * *


兄こぐまは、今はゲームもスマホも放り出して、パパにべったりとくっついている。そりゃ、淋しかったよねえ。
私が「夏休み中は、今迄の償いとして、毎日午後からは子ども達と過ごして」と要求したの、大正解だった。

本人にとっても、自分の存在意義というものを常に感じられるのが、一番のセラピーだと思う。
そして、ちゃんとハッピーエンドにしてくれれば、こぐま達にとっても、傷を癒す学習になる。そんな学習、しなくて済むに越した事はないけれど、起こってしまった事はなかった事にはできない訳で、それならそこから最善の結果を導くしかない。

プチ家出に付き合ってくれたり、心配して支えてくれた皆様、どうも有難う。

いや、こんなしんどい道、誰にも薦めないし、この先の事はまだ判らない。実現不可能な夢物語かも知れない。それでも、やれる事はやり切ったと思える事は、家族にとっても大事だし、取り敢えず現時点では、我が家にとってベストな道を来たかなと思う。あれもこれも早まらなくてよかった。
それにしても、しぶといな、私。わはは。





2025/08/12

長い長い話し(1)



(いつものごとく、自動翻訳対策で、ちょっと読みづらいかも。また、今は一段落していますので、どうぞご心配なく。


去年の夏頃から、もう数え切れない位、ぶつかってきた。一番の原因はあるこおる。でも、その前の色々な傷についても。
喧嘩しまくり、嫌になるくらい長く話し合って、まずは「お互いが全く違う考え、解り合えない」という、その隔たりの絶望的な大きさが判った。それはそれで大進歩。夫婦なんて他人なんだし、国際結婚だと根っこの文化も違うのだし、考えが違うのは当たり前。そこで投げ出して「やっぱり別々の道を行こう」というのも一つの手段で、それもかなり真剣に考えた。
でもその後、「相手の言動の何に傷付けられたのか」をお互いに言語化する事で、少しずつ相手の気持ちが理解できるようになってきた。飽くまでも理解だけで、自分がそれに同意する訳ではないのだけれど、相手が何を考えてそういう言動を取っているのかという理由が腑に落ちるだけでも、全然違う。
自分自身の弱点とか欠点とかも改めて気付かされ、こっそり反省。そして、ちょっと小康状態になったり。

* 

離婚で子どもを手放す母親は、世間受けが非常に悪い。私自身、そんなの考えられない!と思っていた。
でも、「子どものためになるのなら、自分が我慢して手放す」という事もあるのだと、自分がその立場になって初めて思い至った。

昔は、何が何でも私が親権を取る気だったけれど、子ども達も大きくなり、子ども達が私を選ばないのなら、それはそれで仕方がないと思うようになった。
実際、のんでいない時の彼は、私よりもいい親だと思うもの。

「子ども達は、君の事を怖がっている」
「君は子ども達を『いい子』にしたいだけ」
「子ども達は僕について来る」
などと言われれば、じゃあ子ども達の気持ちを尊重して、私は我慢しようと思うけれど、子ども達は「ママに捨てられた」と思うんじゃないだろうか。

子ども達の希望に沿うように、決めさせてあげたい。でも、自分で決めさせるのは残酷。選べる訳がない。
それに、もし「好きなようにしていいよ」と言われたら、「ママは自分の事を手放しても構わないんだ」と思うかも知れない。
いや、心臓を貫かれるくらい構うけれど、それでも本人がそうしたいのなら私は従うよという気持ちなのだけれど、そんなの伝わらないだろうな。

* * * * *

上の下書きをしたのが、今年の3月頃。
その後、更に更に、ジェットコースターのように上がり下がりを繰り返した。

依存症などは、遺伝ではなく学習だと私は思っているので、そういう親の姿を見て育つのはよくないと思う。村人や友達の目もある。

言う事が二転三転したり、約束を守らなかったり。
当番医などで私が不在の時だけは絶対にとお願いして出ても、やっぱりつぶれていてこぐま達の御飯がない、なんて事もあって、連絡を受けて私が絶句すると、「だって、パパだから」・・・そういう諦めができてきたのも、よろしくない。

あんなに完全なパパっ子だった兄こぐまが、私の側につき始めた。
その成長が嬉しい反面、いや、父親を見限る事を学習したって、よくないよね。

じゃあ何故それでも離婚せずにいたかと言うと、一番には「それでもパパが好き」という子ども達の愛情を否定したくなかったし、子ども達から父親という存在を奪いたくなかった。逆に私が出て行くのでは、心配過ぎるし。
暴れるのを、兄こぐまが私を庇って間に入り、「ぼく、あなたの息子だよ!」と優しく抱き締めて宥める位だもの。
妹こぐまにも「パパとママ、両方いて欲しい」と泣かれてしまったし。

また、絶対的強者である私が弱者を切り捨てるという行為も、それはそれで学習させたくなかった。

子ども達にとって一番いいのは、どの道だろう、と、何度も何度も自問した。

入院治療とか、安易に提案されるけれど、それができて、且つそれで解決されるものなら、とっくにやってるわ。

ちょっと難しい薬を私が処方してきた事もあり、私が切り捨てたらもう生きる事を諦める可能性が高かった。自分が愛して切り捨てた人のお葬式なんて、一生引き摺るに決まっていて、私自身もなかなかそこまでの覚悟ができなかったし、こぐま達にも大きなトラウマになってしまう。
はっきり言って、自分がこの世からおさらばする方が、ずっと楽。なりたくて強者になった訳じゃない。弱者でいたなら、こういう悩みはなく逃げられたのに。

でも、火事を起こされるんじゃないかとか、もし何か騒ぎを起こされたら妻である私にも責任が問われるかもとか、更には薬を処方している私の医師免許や開業許可も脅かされるかもとか、そこまでいかなくとも「家族すら助けられなかった医者」という評判になるかもとか、本当に薄氷を履む思いで生きていた。
また、子ども達に向かって、彼の事を悪く言っている自分に気付き、ぞっとした。それ、一番あかんやつやん!

正直、どん底の時には、愛なんてもう感じられなかった。と言うか、よったときのあの目つきが本当に嫌で嫌で、もう写真すら見たくなかった。
でーすいして家のどこかで倒れている事もしょっちゅうあって、怪我をしたり低体温症になりかけていた事もあり。息をしているか寝室に覗きに行く、夜中に物音が聞こえたら「あ、まだ生きているわ」と安心するようなレベルだったのだけれど、もう何か、いっそこのまま終わっていてくれた方が楽かも、と思ってしまう位、ひどい状態だったの。でも、もしそれで本当に終わってしまっていたら、きっと薬の処方をしていた私の責任も問われる事になる。

私が「優しい」なんて、とんでもない。心の中はエゴや計算でいっぱいだったよ。

* * * * *

雨降って地固まるどころか、ずぶずぶの泥水の中、何とか顔だけ出してもがき続け、やっと乾いた土地に辿り着いてハアハア息をしていたら、またひたひたと水が上がって来て波にさらわれ・・・というのを、もう十数年間繰り返して生きてきた。
日本で恩師に「きみ、今、幸せなんだよね?」と訊かれて、うっと言葉に詰まった。こちらに戻って来て、すぐにまた同じ事が始まり、繰り返され。

そして、それでも遂に別れを決心して、最後のプチ別居に出た。法的に離婚しても放り出さないとか、離婚はしなくても別居にするとか、色んなやり方があるから、その辺は後でゆっくり考えればいいから、兎に角別れよう、と。
それで戦って出た夜、寝ていたら、のしかかられて首を絞められそうになる夢を見て、目が覚めた。目が覚めてから、それが夢だったと気付くまで、暫くかかった位、リアルだった。そんな事、本当に思いもよらない、聖人のような人だったのに、こんな夢を見るようになったら私達もうおしまいだわ、と、そこで悟った。

のだけれど、暫く後、心から謝罪され、初めて(!)約束された。

今迄、仏の顔も三度までどころか、もっと何度も何度も、信じて赦しては、あっさり裏切られる事を繰り返してきたので、「いい加減懲りようよ、私!」とも思ったけれど、今回は初めて心がこもっていたので、やっぱりそれは踏みにじらない事にした。また自分が馬鹿を見るかも知れないけれど、まあ、もう一回だけ、本当にラストチャンスで。

そこからもう、長い長い時が経過したような気持ちだけれど、実はやっと一週間。それをこれだけ長い安定と感じているという事は、今迄それだけ短い周期で「もたなかった」という事。

* * * * *

それから更に3週間が過ぎました。
前も、トンネル抜けたと思ったら抜けていなかったし、オオカミ少年みたいで、なかなか出す気になれなかった。けど、そろそろ出しても大丈夫かな。

皆様、ご心配、本当にありがとう。

* * * * *

と書いたのが6月。しかし、そうは問屋が卸さなかった。ま、そうなるよね。(続く



追記:
すみません、私の書き方が悪くて誤解を生んだようです。私にも子ども達にも、暴力はふるわれていません
私がして欲しくない事をしようとした時に止めようとして、とか、私が証拠動画を撮ろうとして、揉み合いになる事があっただけです。





2025/08/10

久しぶりのサーカス



渾身のジャンクフード重。これを抱えて・・・




久々のサーカスへ!半額券が手に入ったので。
夏休みだから、多分お客さんが集まらなかったんだな。
(夏休み中は何週間もの休暇旅行に出掛けてしまう人が多いので、人が凄く少なくなるの。特に子どもは激減。)




ひーっ・・・ イタリアの蛇人間。
彼の将来(今も既に?)を考えると、ドクターストップをかけたくなる。




一緒に行った友人撮影。
今回は少し斜め横の席だったのだけれど、こういうのは真正面じゃない方がよくわかる。




中国の曲芸グループ。

コロナ後コンセプトが変わり、動物使い達は外国に行ったらしい。
まあ、ドイツではもともと動物保護の観点から、「だからサーカスは嫌い」という人も結構多いからね。
それで今は、ほぼ只管、人間が芸をする。




首! 首! 大事にしようよ!

一人は反らした首に輪っかを引っかけ、もう一人はそのロープの反対側の輪っかを、足首を直角にして引っかけているだけ。それで、もの凄いスピードでぐるぐる回転しながら、テントの天井まで上がる。どちらもきつく締めていないので、すっぽ抜けたらおしまい。




小さな鞍馬みたいなのの上で、片手倒立。
パッと見「どうしてこれでバランスが取れているの?!」という体勢。




上る瞬間にバランスを取るのが凄い。だって、一瞬だけど片足に全体重がかかる訳で。

サーカスの曲芸を見るといつも、物理学の妙を感じる。
そして、命懸けでやって、多分体も壊して・・・という、一種の哀しさも。でもそれを言ったら、スポーツも芸術も、プロは全てそうだもんなー。

今回は14の国からの曲芸師が集まっているのだって。




テントの中は暑かったので、帰宅してかき氷で〆。一同大満足。


また記事を出しますが、こぐま達、本当にしんどくて大変な日々だったの。
だから心を慰めてやりたくて、当番医明けの日だったけれど、頑張ったよ。

サーカスを喜ぶには、もう大きくなり過ぎたかなと思ったのだけれど、小さな子は曲芸の凄さを理解できないから、却ってこれ位大きくなってからの方が楽しめるのかも。



うちのはこれの旧モデル。それぞれの段に中蓋があって、空っぽになったら重ねる事ができて、凄く使いやすい。





2025/08/05

天気が悪い時にこそ


兄こぐまが段々自立してきたので、自転車を買ってやる約束をしていた。田舎でバスの本数がもの凄く少ないので、そりゃ欲しいよね。
兄こぐまは最近いじらしい位で、お金がなくて「ちょっと待って」でも文句を言わず、やっと買えるかというタイミングに村で火事があって、自転車購入を延ばして寄付するのに即同意したり。最近は手伝いもよくしてくれる。
なので、「夏休みには、ガレージを片付けて置き場を作って、必ず買うからね!」と宣言してあった。

実はうちのガレージ、一番最初は夫の物置になっていて、ガレージがあるのに外に駐車しなければならず、エアコンが壊れていて使えない車なので、炎天下や冬の凍結で「なんで、こんな目に!」というのが、確か1年以上。
それで、引っ越しの時に手伝いに来てくれた皆が、兎に角車だけは入れられるように、大片付けしてくれた。ゆっくり悩む暇もなく適当に置いてもらって、その後は一人では動かせなくて、そのままになっていて、もう4年位か。

うちのガレージには食料品も置いてあるので、猛暑の時にはシャッターを開けておきたくない。余りにも大雨だと、降り込むし、ゴミの処理に外に出られないのも困る。
それで、小雨が降ったりやんだりの週末に、「今だ!」と決行。

片付け始めたら、兄こぐまがすぐに気付いて、「ママ、ガレージ片付けてるの?!」とびっくりして喜び、「ぼくも手伝えるよ!」と。

残念ながら、またもビフォー写真を撮り忘れたけれど、車の両側、人が通れるか通れないか位、物が一杯だったの。しかも、家を建てた時に床材など予備で何箱か置いていってくれて(壊れた時に修繕できるように)、そんな滅多に要らないものが、いい場所を占領していて。
そうすると物も整理して置けないし、取りたい物に届かなかったり。
しかも夫は隙間に突っ込んだり、置きやすい手前にどんどん並べて置くので、更に通れなくなったり、掃除も満足にできない。

タイルの箱はかなり重くて一人では運べないので、それらを二人で地下室まで運んだ。
その後は、私一人でゆっくり悩みながら、物の置き場を決めていく。



アフター。埃まみれの力仕事の成果。
スペースを空けておくと、すぐにまた何か置かれてしまうので、わざと床に広げて置いてあるけれど、すっきり。うちのガレージ、こんなに広かったんだ!




おまけ。兄こぐまが最近作ってくれた、カルボナーラ。パスタは手打ち。
パスタマシーン、新旧2台あるのに、夫がどこかに突っ込んでしまって見つからないので、本当の手打ち。

旧母屋を物置きにしているのだけれど、夫が段ボールにガサガサ突っ込んでは積み上げ、その段ボールが変形して崩れ、手前に手前にと物を置き、ある筈の物が見つからず、きちんと包まずに裸で放り出しておかれて埃まみれになっていたり、もう本当に、めちゃくちゃ腹が立つ状態になっている。
使えなかったら、持っている意味がないんじゃー!!折角持っているものを大切にせんかー!!と吠えたくなる。

食材も、レシピ通りにスパイス類も全て買い揃え、封を切って忘れてまた次を買って・・・というのが、あちこちに埃まみれになっていて、本当に勿体ない。それらも怒りながら整理。

本来なら、使う頻度の少ないものを旧母屋に整理しておけば、家の中をすっきり保つ事ができるのに、家の中までぐちゃぐちゃ。
今年は少しずつ整理するぞー。