2026/07/28

タンコブ・内出血を防ぐ方法/爪の下の内出血の対処法


タンコブというのは、内出血(皮下出血)です。
ガツンとぶつけて、皮膚は破れなかったけれど、血管に穴が開いて、そこから皮膚の下で血液漏れする状態。

思いっ切り簡略化して描くと・・・

こんな感じ。

内出血の分量が少なかったり、じわじわ染み出したりで、皮膚に対して水平に広がると、平らな青痣になる。

内出血の分量が多かったりスピードが速かったり、横に広がる場所がなかったりして、皮膚に対して垂直方向に広がると、皮膚がゴム風船のように伸ばされて、タンコブになる。打撲のダメージそのものに加え、その部分の組織がパンパンに押されるので、更に痛い訳。
頭部にタンコブができやすいのは、皮膚のすぐ下に頭蓋骨があって横に広がる場所がないし、骨によって力が全て外に向かうから。

採血の後、青痣や小さなタンコブができてしまう事がある。採血の時には、血管に針で穴を開ける訳なので、その後しっかり押さえなければ、針を抜いた後の穴から血液が漏れて青痣になるのは当然のこと。

また、爪の下の内出血が痛いのは、爪には伸縮性がないので、内出血の行き場がなく、指の組織がひどく圧迫されるから。




komugiさんの写真。あいたたた・・・

内出血はざっくり言うと、できてから吸収されて消えるまでに、液体→固体→液体と変化する。そして血液は重いので、最後の液体になった時に、段々と下へ移動する。だから、社会人なら、おでこにタンコブを作るのは絶対に避けたいところ。

* * * * *

それらを防ぐには、兎に角、血管の破れを押さえる。

なーんだ、そんな事?と思うかも知れないけれど、意外に正しくやれていない事が多い。
一秒二秒の間にも血液はどんどん漏れるので、兎に角、何をさておいても、すぐに押さえる。そして、一瞬たりとも手を離さず、少なくとも1、2分間はずーっと押さえておく。
それを、ちょっと体勢を持ち直してからとか、上着を着てからとか、「大丈夫?ちょっと見せて」とかやっていると、もう遅い。

手の平をぴたっと添わせて、蓋をするように押さえる。ぶつけたところを押さえるのはかなり痛いのだけれど、そこはぐっと我慢して。
採血の後など小さな箇所は、指先でギュッと押さえ続ける。

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それが間に合わず、大きなタンコブができてしまったら、どうするか。
行き場のない内出血が周囲を圧迫するのが痛いので、出来てすぐのタンコブなら、医者にちょっと注射器で吸い出すか、メスで小さな穴を開けて出して貰う事も可能。但しこれは、出来たてほやほやの時に限る。
血液というのは栄養豊富で細菌が喜ぶので、余りにも大きな内出血(脚全体とか)だと、手術で切開して取り除く事もある。

爪の下の内出血は、爪に小さな穴を開けて血を逃がしてやると、すっと楽になる。これは誰にでもできるし、爪自体には神経がないので痛くないよ。
私が医学生時代に事故外科の先生から教えられたのは、「クリップを伸ばして、その先端を火でちょっと炙っては、爪の黒くなっている部分にあてて、少しずつ少しずつ穴を開けていく。血が一滴出て来たら、それでOK」というもの。



確かにこれはよい方法で、クリップを手で持てる程度だと加熱し過ぎにならずに安全だし、爪に当てるとすぐ冷め、針のように尖っていないから爪の下の肉にまで穴を開けてしまう心配がないし、穴を開けるのに圧迫しないから痛くない。

教えて貰った当時に書いたけれど、今はもうそのサイトもないので、改めてここに。

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因みに、内出血ではない、普通の怪我の出血でも、止血方法は同じこと。

傷を塞いで指の腹で押さえるとか、大きく開いた傷なら手の平などをぴったり添わせて、ぎゅーっと押さえていれば、まず止まる。
手より大きな擦り傷なら、ビニールなどで覆い、他人の手も借りて、兎に角押さえる。


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医療従事者の方達へ、余談:

採血などの後、患者さんに「ここをしっかり押さえておいて下さいね」と言っても、一瞬手を離されたり、その後あらぬ所を押さえられたり、皮膚から出血しなければ「もう止まった」と勝手にやめられたりして、それでできた青痣は採血した者のせいにされてしまったりする。

なので、私は患者さんには任せません。
カット綿(セルロース)小さく折りたたんで分厚くし(ドイツのTupferなら、四つ折りにしたのを二枚は重ねる)、長めの固定テープでギュッと圧をかけてとめ、その上から更に駆血帯で押さえます。
手順としては、駆血帯をパチンと外してしまわず、緩めるだけにしておいて、針を抜いてカット綿と絆創膏で押さえた指の上に、もう片方の手ですっとずらしてまた締める。



小さく折りたたむ事で、その箇所にきちんと圧がかかっているのが判るかしら。
こうしておいて、使った器具を片付けたり、次の予約の確認や電子カルテの記入などを済ませると、時間を失う事なく、青痣を防ぐ事ができる。

また、もし採血/静脈注射/点滴の最中に血液が漏れて小さなタンコブになるのに気付いたら、針を完全に抜く前に、その内出血を注射器でちょっと吸い出しておくと、その後の青痣が小さくて済みます。



2026/07/25

レーヌクロード、初収穫



Yさんの「いちばんおいしい、緑のプラム」を読んでメモしておき、2018年に買った木が、やっと一人前になりました。

実は、去年もう実をつけていたのに気付かず、干からびてぶら下がっているのを、後になって発見。
一緒に植えた杏の木なんて、嵐で吹き飛ばされて草むらに埋もれてかなり長い間見つからず、多分あれはもう助からなかったな・・・(泣)。

今年はそうならないように、せっせと草刈りして道をつけておいて、頻繁にパトロール。日照り猛暑が続いた時には水遣りまで。




当時Ringloで検索したら、別名Reneklodeと出て来て、学名Prusus italica

これで合っている筈、と私が買ったのは、1490年に作られた品種らしい。「マイナス10℃まで」と書いてあって、うちは年に一度はマイナス十数度になるのだけれど、特に何の保護もせず、ちゃんと越冬できている。

収穫期は8-9月と書かれていたのだけれど、今年は猛暑が早く来たからズレているのかな。




やっと、初めて、食べられた!
凄く甘いんだけれど、甘いだけじゃなくて酸味も少しあって、最後にほんのりと日本の梅シロップみたいな後味が残って、これは確かにおいしいわ♪
しかも種離れがよくて、食べやすい。

妹こぐまと夫、食べてみるなり「この木、どこにあるの?!(キラキラ)」
実がつかない間、あんなに冷遇していたくせに!

* * * * *

同じ果物ばかり食べ切れない程沢山穫れても大変なので、老木が枯れて場所が空いたら、なるべく色んな種類の果樹を植えるようにしている。そして、収穫しやすいように、背は低めに仕立てたい。気の長い話しだけどね。



2026/07/22

妹こぐまの靴を買いに


妹こぐまが初めて自分で欲しがった靴は、コンバース。前回の帰国で既に履いていたので、もう1年半以上毎日履いている計算で、穴が開いても「まだ、これでいい」と言っていたのだけれど、パックリ大きく破れてきて、流石に新しい靴が欲しいって。

次はアディダスがいいと言う。クラスの子達が「皆」履いているんだと。
近くの靴屋さんに行ったら、アディダスはサイズ展開がちょっと独特のようで、妹こぐまにぴったりのサイズがなく、デザインによって更にゴソゴソだったりきつかったり。なので、少し離れた街の大きな靴屋さんに行って、実際に沢山試して選ばせた。




えー、こんな通気性の悪そうなのを学校で一日中履くのー?と思ったけれど、履き心地よりもデザイン重視の中1。
予定よりも高くて、「私なんて、セールじゃない靴は殆ど買った事がないんだけどな」と思いつつ、コンバースもちゃんと履き潰したし、妹こぐまは普段全くおねだりしないので、まあいいよ。




妹こぐまの新旧靴。右のサンダルは・・・
私の旅行用。妹こぐまがあれこれ試している間に、何の気なしにふらふら見ていて、見つけた。
ホテルで靴は絶対に脱ぎたいので、いつもスリッパを持って行くのだけれど、スリッパでは部屋の外には出られない。朝ごはんの時などのために、兎に角嵩張らなくて軽いサンダルが欲しいなーと思っていたの。これなら、ぴったり♪




恵みの雨。この後、車で1時間位のところで大きな雹害もあったけれど、うちの辺りはそんなに酷くなかった。




先日のドッカン料理。お肉と野菜と春雨炒め。筋トレにはまっている兄こぐまのためにお豆腐も入れた。
この巨大な中華鍋をいっぱいにして料理する日が来るとは。


過去記事



2026/07/19

再び、ビートルマニアの旅♪


はい、答えはハンブルクでした。ハンブルクと言えば、ビートルズ。

前回は、初めてのレーパーバーンで、おっかなびっくり、二箇所回るので精一杯だったけれど、今回はグループだったので、もっと見るぞー。

まずは昼の部。



Polizeikommissariat 15 - Davidwache 
(Spielbudenpl. 31)

放火未遂容疑でポールとピート(と書かれている事が多いけれど、手記によるとスチュアートも、だったらしい)が一晩留置された警察署。
もしその時私がここで当番医をしていたら、健康上の留置可否を判断するために私が呼ばれたのにー、時代も場所も違って、ちぇっ。わはは。



Beatles-Platz

前回見そびれた、リンゴの名前。ピートの側しか見ていなかった。

* * * * *

そして夜の部。




ライトアップされていなくて、がっかり。
広場を囲む、この細い円状の金属部分には、ビートルズの曲名が書かれている。

4人とスチュアートとの間には、パトカー。そこに停めるか。



Indra (Große Freiheit 64)

1960年8月17日から演奏した、インドラ。入ってみたかったけれど、プライベートの貸し切りだった。



Kaiserkeller (Große Freiheit 36)

1960年10月4日から、カイザーケラーに移って演奏。ここでリンゴは別バンドで演奏していた。
11月30日まで演奏して、ジョージが17歳で未成年なのと、ポールとピートの放火未遂容疑事件で、国外退去。
(入り口前に、記念碑と当時の契約書が飾ってあるというの、知らなくて見そびれた!)



Ex-Bambi-Kino (Paul-Rosson-Str. 33)

バンビが落書きに埋もれているけれど・・・
1960年最初のハンブルク滞在時にビートルズが住まわされた、子ども用映画館の跡地。




撮影しながら満面の笑みなのが、シルエットで判ってしまう。
聖地巡りの私の興奮ぶりが伝わるだろうか。




上階を見るといい雰囲気だけれど、当時のビートルズにあてがわれたのはそこじゃなくて、映画館のスクリーンとトイレの間の、窓のない狭い二部屋。ひどっ。
インドラとカイザーケラーの経営者がここの持ち主で、滞在費を安く済ませるために、ここに住まわせたのだ。明け方まで演奏して、やっと眠れると思ったら、映画上映が始まるという、酷い環境。映画館の男子トイレをバスルーム代わりに使っていたのだって。

そして、彼らがトップテンに移ろうとしていたのでジョージを警察にチクったのだとか、放火未遂事件をでっちあげたのだとか、色々な噂がある。
(でも、たとえでっちあげじゃなかったとしても、そんな劣悪な環境に住まわされたら、腹いせの悪戯くらいしたくもなるわな。とも思ったり。)


一旦国外退去になったビートルズは、1961年にまたハンブルクに戻って来て、トップテンクラブで4月1日から7月1日まで演奏。初めてのレコーディング(「My Bonnie」など)もハンブルクで。ベースのスチュアートはこの時までで脱退。そしてポールがベースに転向。



Star-Club (Große Freiheit 39)

1962年4月13日から7週間、そしてレコードデビュー直後の12月に2週間(リンゴの加入は1962年8月なので、1回目はまだピートで、2回目はリンゴだった訳だな)、スタークラブで演奏。跡地の中庭にこんな記念碑がある。




ビーきち仲間の先生と一緒に来られて、嬉しいー♪


今回行けなかったのは、中庭の戸口で撮ったジョンの写真が有名な、Jäger-Passage (Wohlwillstr. 22)
今はもう入れなくなっていて、離れた外からしか見られないそうだし、もっと遠いと思っていたので、諦めたのだけれど、後で地図で確かめたら、近かったよ!覗きに行ってみればよかった!




まとめ地図♪ 
説明書きもそれぞれ入れてあるので、お仲間さん、聖地巡りに使ってね。
(このマイマップの作り方、行く前に知っていたら、もっと効率的に全部回れたのに・・・遅いよ、私!)

因みに、治安は夜よりも朝の方が更に悪いそうなので、気を付けて。
午後や晩は、観光客もいっぱいで、そんなに危ない感じはしませんでした。





2026/07/16

週末旅行


私は欧州日本人医師会の総会があるので一日休診にしてあって、こぐま達も金曜日が丁度Abi(卒業試験)休みになったので、金曜日の早朝から3人で週末旅行。

今、ドイツ鉄道で「ファミリーチケット」なるものをやっていて、私一人分のチケットより3人で行く方が安く済んで、とってもラッキー♪
(本来なら、兄こぐまの分が、もう大分高くつく。)

前日も朝4時過ぎに起きてお弁当を作って、晩の診療まで働いた後で、夜中迄色々準備もあって、当日も朝4時起きで、かなりヘロヘロ。でも、電車の中で寝ればいいもん!




シュトゥットガルトでの乗り換えの後は6時間位乗りっ放しになるので、パン屋さんで二食分買い込んでおいた。勿論、そこは指定席も取ったのだけれど、既に選択の余地がなかった位の満席。

乗り換えがちょっとギリギリで、指定席を取った長距離電車を逃すのが心配だったので、朝5時過ぎに家を出て、一本早いのに乗っておいて大正解。本来乗る筈だった連絡は、案の定遅延で、間に合わないところだった。
長距離電車に乗り込んでから、アプリで「乗り換え、間に合いませーん。別の連絡を探してね!」と通知が来ているのを見て、胸をなでおろした。




パシャパシャやっていたら、私達の写真も撮ってよ!とせがまれた。




真面目に30分程度の講演もしました。皆さん、こんなに食い入るように見て下さっていたんだ!

私達の会議中、こぐま達は現地の子達に案内して貰って、室内アドベンチャーワールドへ。別行動ができる年齢になったんだなー。




会議が終わったら、外がえらい事になっていた。

ドイツの演歌(Schlager)フェスティバルをやっていて、もの凄い人出で、皆ドイツと思えないカラフルさの70年代ルックで、めっちゃハッピーそう。

余りの人出にもみくちゃにされて、本気でこぐま達とはぐれそうだったし、もう駅まで辿り着けないかと思ったよ。




晩御飯の女子会テーブル。会議と講演が無事に済んで、晴れ晴れ。こぐま達は別テーブルにお任せして、話しに花を咲かせた。

さあ、どこに行ったか判ったかしら?