2026/05/25

トルコからの交換留学生



交換留学生を迎えるのに、私は仕事があるので大丈夫かなーと心配していたのだけれど、
学校側がしっかり予定を組んでくれていて、ほぼ毎日グループで出掛けていて、晩御飯も食べて帰って来たりするので、親は殆ど何もしなくてよかった。

そのうえ子ども達だけで夜中まで遊び歩いたりしていたので、更に接触が少なかった。
田舎なのでバスが少なく、車であちこち送り迎えはしたのと、フリーの日にちょっと遠出したけれど、その程度。
まあそもそも、大人と一番距離を置く年頃かなー。却って大学生くらいになった方が社交性があるよね。

窮屈だけれど、兄こぐまの部屋で一緒に寝て貰った。
兄こぐまはお客のために我慢するのは初めての経験で、振り回されてちょっと嫌になっている部分もあったみたいだけれど、それもいい経験だと思って、見て見ぬふり。
その分私に当たられて、いつも必ず言う「ありがとう」もなくなって、しんどかったけれど、まあ兄こぐまもいっぱいいっぱいなので、仕方ない。

うちに来た子は、結構甘やかされて育っているんだろうな、という感じで、好き嫌いもあって食が細くてちょっと困ったのだけれど、最後の晩、出先から帰宅して大慌てでトマトパスタを作ったら、「このソースがおいしい!」と初めてお代わりしてくれて、ほっとした。
つい土地の名物を出しがちだけれど、やっぱりまだ子どもで、食べ慣れた「普通のごはん」がいいんだね。




お土産に一式持って来て、トルココーヒーの淹れ方を教えてくれた。この小さなポットで、かき混ぜながらゆっくり加熱するの。
そう言えばシリア料理店でも、シリアコーヒーは注文してから出てくるまで結構待つもんね。

* * * * *

お別れパーティーはBBQの筈だった。仕事を済ませて、お肉さえ買って行けばいいから余裕!と思っていた。
ところが当日のお昼頃、兄こぐまから「持ち寄りパーティーに変更だって」と連絡が来た。ええーっ・・・。

パーティーは夕方の5時から。私は1時まで診療があり、その後往診も入っている。

兄こぐまに「イーストだけ買って来て!」と頼み、診療時間終了後すぐに迎えに行き、パン生地を用意して、発酵させておいて往診へ。
その後スーパーに具を買いに行って、大慌てで日本の総菜パンを作り、オーブンから出したてを冷ます暇もなく盛り付けて、何とかパーティーに。




パン24個。頑張った、私。

ソーセージは勿論豚肉ではない。ベジタリアンのためにコーンマヨも。

* * * * *

出発の朝、駅まで送って行った。
周りは親も含めかなり泣きまくっていたのだけれど、うちはシーンとしていて、なんかクールだったわ。
私って冷たいかなあと反省しつつ、まあ英語が苦手でそんなにコミュニケーション取れなかったし、仕方ないか。

実は兄こぐまは他の子達の方が気が合ったのか、うちに来た子を置いて、他の子達と遊び歩いたりしていた。それってホストとしてどうなんよ、とも思ったけれど、本人達が気にしていないようなので、小言は飲み込んだ。
でも、兄こぐまが遊び歩くのに忙しくて気もそぞろで、周囲が自分の思い通りに動かないと苛々していたのは、やんわりと指摘。

お別れした帰り道、兄こぐまに「どうだった?」と訊いたら、一言目に「大変だった」ではなくて「楽しかった」と言ったので、結果オーライかな。
「よく頑張ったね。いいホストであろうとしていたの、ちゃんと見ていたよ」と褒めておいた。

因みに兄こぐまがトルコから帰って来た時、一番のカルチャーショックは車の運転だったそう。で、トルコからのボーイズはシートベルトをしたがらず、「罰金高いよ!」と何度も言って、渋々ようやく、だった。


初めて原書で読んで、エドマンドが魂を売ったのが、プリンのためじゃなくてロクムのためだったと知った時は、「え・・・これのために・・・?」と衝撃を受けた。当時の日本でプリンと訳したのは、本当に凄いと思う。




2026/05/20

Outletシティ


うちから車で1時間位のところに、大きなアウトレットシティがある。ヨーロッパ最大級だとかで、街全体がアウトレットモールになっている感じ。

トルコからの交換留学生、ここに行くために、こちらが引く位お金を持って来ていて、お願いされて友達も一緒に連れて行った。
まあね、家族親戚みんなに頼まれた買い物もあったみたい。でも、おませさんで、毎日鏡の前でしっかり整え、しょっちゅうセルフィー撮っているし、彼女もいると言うし、ついて行けない・・・。
兄こぐまなんて、トルコのパンを山盛り買って来たのがお土産だったので、まだまだ中身が子どもやわー。ファッションに興味は出てきているけれど、他の人の分の買い物なんてまだ絶対お願いできない。)




実は私は、中心モールには初めて行ったのだけれど、
行ってみてびっくり。
紙袋を持っていない人の方が少ない位、皆ふわふわ浮かれて買いまくっている。そしてとっても嬉しそう。皆最初から買う気で行っているから、凄い経済効果だな。

GUCCIの前には入店制限の行列までできていた。ブランド率の低いドイツでは珍しい光景。でも、本当のお金持ちはアウトレットなんて行かない訳で、だからギラギラした小金持ちの外国人が並ぶ、ちょっと独特の雰囲気。

ファッションだけでなく、生活用品などもある。私が覗いたお店では、3割引き位が多かった。
お菓子を見ると、スーパーで定期的にセールされるのより、僅かに高い程度。
つまり、セールを待たずに、同じ位の価格で一年中買えるという訳。あと、品揃えが凄くて、スーパーでは見た事ないフレーバーとか、レアなものもある。
なので、何かイベントがある時とか、よさそう。
キッチン用品も、お鍋なんかはセールに出会う率が高いけれど、小物は定価で買う事が多いので、新生活のスタート時とかにいいかも。
服は私はいつも半額以下のセール品の中から買うので、3割引きではまだ高いなあという印象。

* * * * *

そもそも私は最近のブランド服には全く興味なくて、本を持って行ってカフェで待っているつもりだったのだけれど、リーバイスがあったので、「お!」と入って・・・

約30年ぶりに買っちゃったよ。しかも、初の女物リーバイス!

日本でロッカーやっていた頃は、女物で合うサイズがなくて、男物しか買えなかったの。ストレッチジーンズなんてなかった時代で、きついのを無理してはくのが格好よかった。
でも、ただでさえ男物は腰回りがきついうえ、出産後は体型が下膨れになって、当時のジーンズをはくのは流石にしんどくなってきた。

ドイツに来てからは田舎暮らしで、型とサイズの揃ったジーンズショップというものに出会わず、結局ユニクロジーンズを買って間に合わせたりしていたのだけれど、流行の型は好きじゃないし、何かきまらない。
この歳では、ジーンズはもう卒業なのかな、と思っていた。




私の好きなブーツカットがあった!はいてみて、「これよ、これ!」と思わず顔がほころぶライン。
しかもサイズが揃っていて選び放題。苦しまずにはけるよう、ワンサイズ上のゆったり目にした。
(こちらではズボンは、太さと長さが書いてあって、基本的に裾直しなしで買う。久しぶり過ぎてサイズの見当が全くつかず、試着室で自分のを脱いで確認したという・・・)
ジーンズ2本合わせて定価239.90ユーロのところ、149ユーロ也。「定価」が正しいかどうかは別としても、やったー♪ やっぱり下半身がきまらないと、凄く残念な感じになるのよ。
3本買えば209ユーロだったのだけれど、まあ、そこまではがっつかず。

定番ジーンズって余りセールにならないし、ワゴンセールではサイズがなかったりするので、好きな型のぴったりサイズが安く買えるなんて、アウトレットいいやん!と思った。
こうして私も、ふわふわ・にこにこ組に仲間入り。

皆の熱気につられて上着まで買いそうになってしまったけれど、2着買わないとそんなに安くならないので、こちらは思い留まった。のだけれど、後になって考えてみれば、頑張って働いているんだし、それ位買ってもよかったかも。ま、次の機会があれば。

* * * * *

多分もう何度も書いているけれど、私の中でブランド品というものは、ロゴなしでも選ぶかどうかが基準になっている。

最近のブランド品は、兎に角ロゴを付けまくり、洋服でも見えるところにタグを付けたりする。あれ、私は大嫌い。なので、目立つタグは取ってしまったり、油性マジックで黒く塗りつぶしたり、刺繍されているロゴはリッパーで糸を抜いてしまった事もある。

そもそもロゴが見えなければ勝負できないブランドなんて、ダメダメやん。実力勝負しなよ!




ボーイズとは別行動だったので、コーヒーとラズベリーヨーグルトケーキで休憩、集合時刻まで時間潰し。
ケーキも最近本当に高くなって、4ユーロ前後。怯んだけれど、連日の事でかなり疲れていたし、帰りの運転もあるので、エネルギー補給は大事!と贅沢。

トルコの子達が大金を持って来ているので、それを見せつけられる兄こぐまが可哀想になって、「もし本っ当に欲しい物を見つけたら、買ってあげるから私を呼ぶんだよ(←お金を渡すと、そんなに欲しくなくても買っちゃう事がある)」と言っておいたけれど、何も見つからなかったそうで、ほっとした。



2026/05/17

ストラスブールの街並み


祝日で一日フリーだったので、トルコからの交換留学生をストラスブールに連れて行った。彼は初めての外国なので、折角だから国境を越えてフランスにも、と。

兄こぐまの高所恐怖症がなくなったので、初めて大聖堂の上にものぼる事にした。私達が並び始めた時は行列が全く進まなくて、冷たい雨も降っていて寒くて、もうやめようかと何度も思ったけれど、そのうちにすっと進んだ。窓口が閉まっていたのかな?

大人10ユーロ、小人6ユーロ。結構高いなあと怯んだけれど、階段の擦り減り具合を見たら、「これだけの人が行き来するのかー。うん、お金を取って、しっかり安全管理続けてね」という気持ちになった。

私は体調が悪かった後で、いつものつもりで階段を上ろうとしたら、体が重くてびくともせず、そんな感覚は初めてで、自分で「えっ、何これ?!」と愕然とした。手すりにぶら下がるようにして、ゆっくりゆっくり、何とか上ったよ。
ふうふう言いながら松本城を上っていた祖母の気持ちが、今頃解ったわ。




絶景!
大昔、無料デーに一度上ったきりだったので、すっかり忘れていた。




ストラスブールの街並みって、上から見ると本当に独特。
細長くて歪んだ建物がぎっしり組み合わさっていて、面白い。




歴史とか地理とか余り興味ない年頃だと思うけれど、折角黒い森の険しい峠を越えてアルザスに行ったので、この国境近辺の歴史を少しだけ話したり。




タルトフランベを食べさせようと思ったのに、子ども達は結局全員ハンバーガーにした。
黄色い丸いのは、じゃが芋じゃなくて、アルザスのチーズ。




雨が降ったりやんだり、かなりどしゃ降りの時もあったけれど、殆ど濡れずに済んで、大聖堂の上では日も差して、凄くラッキーでした。



2026/05/15

兄こぐま15歳


兄こぐまが15歳になりました。
今年の誕生日は、トルコからの交換留学生が来ていて、友達も呼んで賑やかにお祝い。



平日だったうえ、子ども達は晩に町に遊びに行く約束をしていて、早く早くと急かされて、色々テキトー。
晩御飯というから18時位のつもりでいたら、16時半に学校から帰って来るなり「18時半のバスに乗って遊びに行きたいから、すぐに食べたい」って・・・。あんた、一般家庭でそんなの無理に決まっとるやろ!ホウレンソウしなよ!

メインは夫のウィーン風カツレツ。子ども達の分で力尽きて、私の分はなかった・・・。いやね、でも、昔は何時間単位で間に合わなくて、私(達)を夜中まで空腹で待たせていたあの夫が、子ども達の分を何とか間に合わせたって、凄いわ。
(夫はソースを作るのももう忘れていたけれど、兄こぐまも気付かなかったし、私はソースなしの方がおいしいと思うので黙っていた。)

付け合わせのシュペッツレとサラダは私が横でささっと用意。
前日の残りのポテトサラダと人参サラダがあったので、レストランみたいな「色々ミックス」ができた。




相変わらずシフォンケーキ。ローソクも欲しいって。

シフォンケーキを初めて食べた男の子達が唸って「今迄の人生で食べた物の中で一番ふわふわ!」と驚き、もう入らない位お腹一杯なのに「・・・やっぱり、もうちょっとだけ、食べてもいい?」とお代わりをねだってくれて、嬉しいなあ。

ゆっくり食べさせたかったので、結局バスは逃す事にして、私が車で送って行った。ま、誕生日だしね。

* * * * *

実は私は体調が悪くて、いつものように前日に焼けず、当日も腸痙攣を起して仕事の後すぐ横になり、ベッドの中で「もう『今日はケーキは無理』って言おうかな」と何度も思った。言いさえすれば、兄こぐまは絶対に許容してくれる。

でもまあ、シフォンケーキはそんなに大変じゃないし、起き上がってちょっと体を丸めながら作り出したら、何とかなった。
子ども達の喜び様を見て、「頑張ってよかったなー」と、改めて。




シフォンケーキを焼き始めた頃。それ迄マフィンとかホットケーキとかしか食べさせておらず、強いケーキはまだ食べさせたくなくて、「そう言えばシフォンケーキというものがあったなあ」と思い出して、初めて焼くようになった。

それからずーっと、兄こぐまはシフォンケーキが一番好き。お祝いの時に焼くから「おめでとうのケーキ」と呼んでいる。

こんなに小さかったのにねえ。最近はちょっと難しい年頃になっているので、よその子達の素直な反応が嬉しかったよ。
成人まで、6分の5が過ぎて、あとたったの6分の1。


(↓Amazonリンク)


2026/05/11

医者になって20年!


私達の時代のテュービンゲン大学医学部には、卒業式というものがなかった。
最終国家試験は実技・口述なので、試験日もバラバラで、その試験に合格した人から卒業。合格証書や医師免許は代引き(!)で送りつけられる。

しかも医学部の最終学年というのは、大学病院と提携している複数の病院に分かれての実習だったので、はっと気付いたら、皆バラバラになって終わってしまっていた。
当時はまだSNSも一般的ではなかったので、繋がりがないまま。

そんな中、「医者になって20年を祝おうぜ!」と誰かが声を挙げてくれて、結構な人数が集まった。


(私が撮影した、皆の弾ける笑顔。)

豪華なホテルとかではなく、こんなピクニック形式。このゆるさが、如何にもドイツ。地べたに座ってお喋りしている私達が、20年の経験を積んだ医者の集団だとは、誰も思うまい。わはは。

残念ながら私の仲良しグループだった子達は殆どおらず、今回初めてちゃんと喋った人達も。
私達って、同じ学年で顔見知りでも実際の接触が余りなかった位、本当に勉強しかしていなかったたんだなー・・・と、改めて。

風貌が変わっていて、暫くじーっと表情を観察していてようやく「ああ!」と昔の顔を思い出したり。
(明るい巻き毛の王子様みたいな外見だった子の、髪がほぼなくなっていたのは、かなり衝撃だった。)

一番遠方は、メキシコで働いている子。南オーストリアとか、北ドイツとかからも。そして二人めの訃報を聞いた。あんなに死にもの狂いで勉強してやっと卒業したのに、早過ぎるよ。