最近疲れてしまったのは何故だろうと考えていた。
私はインターネットが大好き。子どもの頃は物書きになりたかった位、書くのも大好き。
今迄のブログで、素晴らしい出会いも沢山あったし、皆さんの心のこもったコメントに励まされて歩き続けてきた。なので「やめる」という選択肢は今のところない。
のだけれど、最近インターネットの性格、それに伴って人々の思考や行動が変わってきたのをとみに感じる。
韓国でのハロウィンの事故の時にSNSで一斉に流れて来た、人が苦しみ死んでいく様子の地獄絵図。それが一週間も経てば「あれ、そんな事あったっけ?」と言いたくなる位の忘れ去られ方。
その辺から、私の中で黄信号が光り始めた。
「タイパ(タイムパフォーマンス)」という言葉が出てきて、動画サイトで映画を倍速で観るとか、ファスト映画といって要点だけまとめたものを観るとか、音楽も好きなサビの部分だけ聴くとか、イマドキはそういうのが結構普通になってきているらしい。
書いてある事を斜め読みしての早とちりで炎上したり、それが早とちりのまま更にどんどん広まって意図せぬフェイクになっていったり。
折角目の前に素晴らしいものがあっても、取り敢えず写メとか動画を撮ってすぐに立ち去るとか、目の前のものを無視してスマホを覗き込み、今撮った動画を確認しているとか。
そこまで「タイパ」を追求して集めた時間でスマホをスクロールしているだけって私は虚しいと思うし、時には「退屈」な間(ま)も起承転結もあってこその芸術だと思う。
ただ、そういう流れに自分自身も、やや影響され始めている気がする。
はっと気付いたら、無意識に斜め読みしていたり。
文学とか芸術とかを腰を落ち着けてじっくり堪能するのが、ちょっと意識しないとできなくなっている事に気付き、「これはヤバいぞ」と。
そして、自分で言うのも何だけれど、私自身の記事も最近の方が面白くなくなってきている気がする。今の私、ネットの世間にがんじがらめになって、差し障りのない事ばかり書いていやしないか。
そういう自分が、自分でも嫌。ブログを突然やめてしまう人の気持ちが初めて判った気がした。
ブログのために生きるのではなくて、ブログは飽くまでも私が生きている副産物にしておきたい。ブログのためやウケ狙い、叩かれないための逃げじゃなくて、私が撮りたい写真を撮り、書きたい事を書き続けたい。
それで、今回の旅は、ちょっとしたリハビリ、見つめ直し。
立ち止まって、芸術や歴史の悠久の時の流れに身を置いてみる。
自分の五感で楽しみ、時には敢えてカメラを出さなかったりもした。
(ああ、でも帰宅して見るとやっぱり、もう少し沢山、思い出写真を撮ってもよかったかも。また行かなくちゃー。)
「ブリューゲルへの旅」中野孝次
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往路は久しぶりにこの本を読みながら。
「モモ」ミヒャエル・エンデ
(↑Amazonリンク)
1973年だって!
エンデは50年前に既に予言していた訳ね。
という訳で、旅行から帰って来て、まず、ランキング参加から引退しました。
ランキングのお陰で素敵な出会いが一杯あったし、ランキングのRSSフィードから来られる方も多くて、私自身もリンク集代わりのような使い方をしていたのだけれど、一度流れから下りてみます。
それでもいいよという方に、引き続きお付き合い頂けたら幸いです。