2023/05/06

躓きの石


躓きの石というのは、ドイツの芸術家が1992年に始めた活動で、ざっくり言うと、ナチス迫害の犠牲者が最後に生活していた家の前に、敷石のような記念碑を設置するというもの。
ヨーロッパを中心に既に9万個ほど設置されているらしい。全て手作り。
州最大のユダヤ人墓地がある位、大きなユダヤのコミュニティがあった我が村には、既に50以上の石が設置されているそう。




我が家の前にも躓きの石が三つある。
国外に逃げる事もできず、強制収容所に連行されて殺害されたのは、女性や子どもが多い。




新しい石の設置セレモニーには、村人たちが沢山集まるし、外国から故人の子孫が来たりもする。私達が参加するのはこれで二回目。
やっぱり、行ける限りは参加するのが、村人としての務めだと思うの。

セレモニーでは音楽が演奏され、故人の人生が読み上げられる。



敷石を一つ外して、そこに収める。




生家でもなく、亡くなった場所でもなく、最後に普通に暮らしていた家の前に設置するのは、「故人が生活していた元の場所に返してあげる」という感じなのだと聞いて、なるほどと、しっくりきた。

子孫の「今の世代のドイツ人に対して何か特別扱いとか償いとかを求めている訳ではない。ただただ忘れないで欲しい、それだけです。だから、こうして尽力してくれて、集まってくれて、本当に有難う」という涙声での挨拶に、ぐっときた。





17 件のコメント:

  1. 躓きの石埋、考えさせられる物がありますね。
    新しい石の埋め込み、セレモニーに立ち会えて、良かったですね。
    家の間に3つもあるの。少ない方がいいね。

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    1. mさん、こんにちは。
      そうですね、少ない方がいいですね。でも、起きた事には忠実に、そこら中に躓きの石がある状態まで到達させると、かなりの表現力になると思います。

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  2. ひかり6/5/23 08:49

    ああ、凄いですね。
    いつまでも忘れずに向き合っていく。
    日本人の私は、どれだけそう出来るかな…と考えさせられます。
    そうして、暮らしていた家に戻してあげる、
    という精神性は、すごく納得でき、通底するものが
    同じなのだなあ…と感慨深いです。
    その人の人生を読みあげる、というのも、本当に大切な事ですね。
    今の繁栄の足元を忘れずに、いたいです。

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    1. ひかりさん、こんにちは。
      「保存の会」が色々な記録を調べまくって、故人が何をしてどういう風に暮らしていたか辿るの、凄いなあと思いました。判明した事実はデータベースに保存されるの。

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  3. WW2において、日本兵とドイツ兵のどちらが残虐だったかという質問を当時の参戦者やバトルグラウンドの生存者に訊くと、日本兵と答えた人が多かったそうです。
    日本にも、ドイツと同じくらいの認識があって欲しいものだと常々思っています。
    日本人のidentityの曖昧さ、薄っぺらい民主主義感、お花畑メンタリティなどは、訳はどうあれつい80年前に世界中に銃弾を打ち込んだ自分達の歴史を振り返ろうともしない点にあるように思います。
    言っても仕方がないほど、日本人の自我喪失は重症だとは思いますが。
    ドイツ人はえらい🇩🇪

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    1. BBPINEVALLEYさん、こんにちは。
      岡本太郎が「日本人はひとっ風呂浴びてさっぱり忘れる、禊の文化。欧米人は風呂に入らないからしつこい」というような事を書いていたのには吹き出しました。

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  4. もいたろう6/5/23 12:55

    アウシュビッツの記憶を風化させないドイツの取り組みが地元に根差している事、現地にお住まいのくまさんだからこそのメッセージ発信と思いました。広島や長崎にも、同じような活動の方々が居られると思います。不穏な情勢が続きますが、人間は過去の経験から学べるはずだと信じたいです。

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    1. もいたろうさん、こんにちは。
      たかが人口1300人の村なのに、セレモニーには軽く数十人は集まるのです。これがひっそり数人だったら本当に淋しい事ですよね。凄く大事だと思います。

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  5. めぐみ6/5/23 15:48

    自分が戦争を経験していなくても、何があったか知り、忘れない事が大事だと考えています。今、アビトゥア真っ最中の長男は歴史コースを取っていたのですが、アビが始まる少し前にアウシュビッツから生還した方が学校に来て下さって、生徒達との講演・討論会がありました。第二次世界大戦を経験した方々がご高齢になられている今、とても貴重な時間だったと思います。私の祖母は年始に96歳で他界しましが、ここ数年の日本は大戦前と同じ様子になってきたと、これからの事を心配していました。誰もが平和に暮らせる世界になってもらいたいと考えさせられています。

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    1. めぐみさん、こんにちは。
      そうですね。世界大戦の生き証人はどんどん少なくなっていますよね。
      でも世界のあちこちではほぼ常に戦争があって、医者として働いているとその傷跡に触れる機会は結構あって、「大戦が済んだから戦争は過去」ではなくて、ずーっとあり続けているんだなあと溜め息が出ます。

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  6. アヴィニヨンの近くにある息子の住んでいる村では。中世には法王国だったので。ユダヤ人に対する排斥が少なかった。今も当時のゲットーが残っています。狭い環境で暮らしてはいても殺戮を免れるためなら。。と思うと。何ともいえない気持ちでした。

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  7. アビニヨンのゲットーのコメントを匿名で送ってしまった。すみません。

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    1. fuskさん、こんにちは。
      うちの村も、ヨハネ騎士団が興してユダヤ人コミュニティと契約のような感じで庇護?していた歴史があるので、ナチ時代になってからもかなり長い間(ナチに村長をすげ替えられる迄)共存していたんですよー。ゲットーじゃなくて普通に。

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  8. melisand7/5/23 15:37

    ドイツでは「躓きの石」の他にもいろいろなところに銘板や記念碑がありますよね。ここで普通に暮らしていた方が、と思うと人事でない切実さがあると思います。血縁の方と交流する機会になっているのもよいですね。

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    1. melisandさん、こんにちは。
      遺族にとっては「知る」という事がトラウマを整理する事になるのだと、話しておられました。今回、保存の会が調べて色々と判明したのに、凄く救われたと。
      犠牲者は大体女子どもなので、直接の家族ではなく、親類程度のつながりが殆どなのですが、それでも外国から来て辿らずにおられない、世代を超えた遺族のトラウマがあるのだそうです。

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  9. かなぶん7/5/23 20:10


    「3才、6才の女の子と母親の名、オランダで死亡」
    私もこう記された石のある家の前を通って暮らしています
    この運動を実行し続けるドイツと人々を尊敬致します 
    ヒトラーは民衆の現状不安と仮想の敵へ敵意を巧妙に
    煽ったとか 日本では改憲をめざす動きがあるとか
    戦争ができる国になるのでしょうか 恐怖でゾッとします





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    1. かなぶんさん、こんにちは。
      そうなんですよね。民衆の不安を煽る事、敵を作る事。これは現在でも非常に有効な手段で、それに流されないようにする自分を作らなくてはと思います。

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