「よい時も悪い時も」という言葉がある。
逆に「背に腹は代えられぬ」という言葉もある。
これらについて、考えている。
* * * * *
昔住んでいたアパートの大家さん夫婦は、今時珍しい位の、とてもいい人達だった。
当時の彼らは順風満帆、子ども達も優秀で将来有望。それで貧乏学生である私達に、凄くよくしてくれた。
私達も、彼らが長期休暇中には水遣りとか動物の世話とか、相当貢献した。寸暇を惜しんで勉強しているのに負担だったし、お礼はお土産のオリーブオイル一本とかだったけれど、頑張った。
風向きが怪しくなってきたのは、私達が卒業して医者になって立場が変わり、彼らの子どもが「病気」になって休学・出戻りして引きこもり、自己負担の「治療」を色々受け始めた頃から。
生活が苦しくなってきたのか、大家が負担するべきところを私達に支払わせようとしたり、私達がアパートを出た最後は暖房費の計算を誤魔化したり(でもそれは、流石に良心が咎めたのか、「計算書の詳細が見たい」と言ったら、それきり請求がこなかった)。
ああ、上っ面の親切だったな、自分達が「悪い時」になったらここまで変わるんだ、と、勉強になった。
* * * * *
昔働いていた医院の院長夫妻も、凄くいい人達だった。大切にして貰って、プライベートでも遊びに行き来したりして。
当時の彼らも順風満帆、子ども達も優秀で将来有望。私の給料の大半は保険医組合から出る奨学金のようなものだったので、私はとっても安い労働力。
風向きが怪しくなってきたのは、私が研修修了し、彼が自分で私の給料を払わなくてはならなくなり、彼らの子どもが大学を卒業しても就職しなかった頃から。
これまた、私に当番医をやらせてその分の収入は自分の懐に入れたり(合法になるように雇用契約にこっそり仕掛けがあった)、雇用主が支払うべきところを私に支払わせようとしたり(ここまでくると非合法)。
これまた、上っ面の、自分達が「よい時」だけの親切だった。
でもね、私だって家族を養わないといけないのだからお金は必要で、雇い主である彼にそれだけのお金がないのなら、私は別のところで稼ぐしかないよね。
だから私自身、「背に腹は代えられぬ」になって、決別した。
* * * * *
人間って弱いもので、私自身、若かった頃、弱さに負けた事もいっぱいある。
でも、強い立場になってからは、「どんなに『悪い時』でも、自分より弱い立場の人を誤魔化す事だけはしまい」と心している。
「『悪い時』なら『背に腹は代えられぬ』でも仕方がない」と諦めては、いけないんじゃないかな。
貝みたいな光沢があって、早目に切ったのでうっすら黄緑がかっていて、とってもきれい。
夫が気を付けずに草刈りするので、もう消えてしまったかと思っていたのだけれど、残っているのを見つけたので、今年は久しぶりにやってみた。
ルナリアの剥き方は、こちら。頭がカッカしていたので、せっせと単純作業の手仕事で、心頭滅却。