2024/08/31

思い出のTübingenとVielklang Festival


私が医学生時代を過ごしたテュービンゲンも、久しぶりに観光しました。
もう二十年以上前の記憶なので、色々と間違いを書いているかも知れないけれど。

テュービンゲンは戦争で殆ど焼かれていない、珍しい町。有名な観光地の旧市街は大体が再建で、そういうのをこちらの人は「ディズニーランド」と呼んだりするのだけれど、テュービンゲンはオリジナル。
まあ貧しい大学町だから、焼く価値もなかったという感じかな。プロテスタントだし目立った産業もなかったしで地味な町だけれど、お薦めです。




ネッカー川に面する城壁は、私も友達と座ってアイスを食べたりした。

左端に写っているのがヘルダーリンの塔。
よく見ると、家は城壁の中に建っているのだけれど、塔だけ城壁の外に飛び出している。狂人となったヘルダーリンを町の外に住まわせていたという訳。




それに面するのが、ネッカー川の中州。ゲーテが訪れた時はまだズブズブの半湿地で、馬車が動けなくなったか何かで文句を言っていた気が・・・。

このプラタナス並木は、秋には黄色い落ち葉がふかふかに敷き詰められ、おとぎの国みたいになるのよ。講義の合い間に、ここのベンチでお弁当を食べたり、教科書を読んだりしたなあ。




神学校奨学生寮の門が開いていた!




よく見ると、昔はゴシック様式の尖った窓だった跡があるの。




回廊のある中庭があって、如何にもという造り。

* * * * *

そして昨晩。Vielklangという古楽にフォーカスしたフェスティバルの存在を去年教えて頂いて、やっと行く事ができた!
行ったのは、Quatuor Hermesという弦楽四重奏。日程的に合うのでという消去法で決めたので、教えて頂いた古楽ではないのになったけれど、どれに行ってもハズレはない筈。

夏休み中だからなのか聴衆の年齢層の高さに驚いたのだけれど、杖をついたり歩くのも大変そうな人達が少しだけお洒落して聴きに来ているの、凄く素敵だなーと思った。
スマホで撮る人もおらず、曲が終わると「ふわーっ」というような感嘆の溜め息が沸き起こり、「ブラボー!」と叫んで拍手喝采。こういうの、本当に久しぶり。

因みにコンサートシーズンというのは本来秋冬で、夏にあるのはフェスティバル系とか、ややカジュアルな感じのものが多い。
秋冬には毎月1、2回、大学講堂でコンサートがあって、前の方に空席が残るとみっともないので、学生は当日10ユーロ位で売れ残り席を買えたの。それで手当たり次第に毎回通ったの以来くらいだったわ。




小さな教会でのコンサートで、休憩には皆外に出て、ワイン片手に夕涼み。ローソクが並べてあって、いい雰囲気。
飲み物は何と、価格なしの寄付だった。凄ーい。

この休憩の後の、Erich Wolfgang Korngold「Streichquartett Nr. 2 Es-Dur, op. 26」Lentoが、私にとっては斬新でかなり好みだった。
私はどちらかと言うと弦より管の方が好きだし、そもそも全く詳しくないのだけれど、音色に包まれているだけで幸せになれるコンサートでした。

Vielklang、まだやっていますよー(なので慌てて記事にしました)。




コンサート後、旧市街をそぞろ歩き、夜のマルクト広場へ。
このざわめきが、凄く懐かしい。学生時代、私達も噴水の階段に座って飲んだりしたなあ。




運よく席が空いて、座れた♪
車だったので、私はエルダーフラワー・シロップの炭酸水割り。





2024/08/30

Esslingen am Neckar



エスリンゲンにも行きました。これは旧市役所。




城壁の階段を上るのは、十何年ぶり。




大分上った! 階段とさっきの市庁舎を見下ろす。




頂上の城跡とお城の葡萄畑。




素晴らしい展望。




後ろに見えているのが、さっき上ったところ。





後ろの斜面は全部葡萄畑。




立派な木組みの家が沢山あって、ぶらぶらショッピングもできて、好きな街。




 

2024/08/28

休暇中に医院の片付け



フェイスブックに出した医院の休診のお知らせを、うちの村がシェアしてくれたのだけれど、「みんな健康でいるんだよ!」というコメントに噴き出した。
そう思って貰える位、村の中で一つの役割を果たすようになっているんだなあ。

(以下全部スマホ写真)




うわー・・・怖っ。
ここの改築現場から駆け込んで来た職人さんもいたけれど、今は休診中だから、怪我しないでね。


さて、普段気になっていても、なかなかそこまで手が回らない、という事は、休暇中に片付けている。




ついつい「取り敢えず」放り込んでしまう引き出しや戸棚も、一旦中身を全部出して整理。




救急のための常備薬やテストなども、使用期限があるので、スタッフが定期的にを全部チェックしているのだけれど、時間が掛かる割に見落としもあり、何だか効率の悪い事をしているなあ・・・と気になっていた。
エクセルで表を作り、日付で並べ替えしたら、一発やん。はー・・・。





2024/08/27

そして窓を拭く

 
やってられるかー!
と叫びたくなる朝。よし、窓を拭こう。

これが、数多の小言よりも効くんだな。家中が、百年の眠りから覚めるように動き出す。
更に、心頭滅却とまではいかないけれど、私の心も静まってスッキリする。
掃除機とか他の拭き掃除ではなく、窓拭きというのがいいみたい。
(あと大事なのは水回り。私は試験の前日にトイレ掃除したりしていた。)

なので、窓拭きは我が家のセラピーだと思う事にしている。
とは言え、年にせいぜい2ラウンド位だけどね。特に今回は、春の窓拭きで肩や下腕を傷めたのが最近ようやく収まったばかりなので、頑張り過ぎず、そこそこに。




蜂が汚しまくっていたところも、ようやくスッキリ。




子ども部屋も窓をきれいにすると、ちょっと片付け出す。

子ども部屋は兎も角、夫の引きこもり部屋なんか、はっきり言って私はどうでもいいし、自分が今家事を全てやらされていると主張している人の部屋なんか放っておけ!とも思うのだけれど、まあたまには光と風を入れて、よい気の流れを作らなくてはね。
私は風水は信じていないのだけれど、汚い窓とか埃とかに関しては確かにその通りで、換気の問題ではなく淀んでいたものがパッと変わるのを感じる。

窓枠や水切りを洗う時にどうしても水が垂れるので、上の階から順番にやっていく。肩をまた傷めないよう、1日に半~1フロア位。午前中に頑張ってお昼でスパッとやめる位だと、疲れ過ぎなくて丁度いい。




台所のガラスがピカピカだと、やっぱり気持ちいい♪
さて、何を作ろうかな。という気持ちになれる。




暑さがやわらいだので、久しぶりに煮込み。
本当はソーセージを使うと簡単に味がきまるのだけれど、私がいない時の加工食品の消費が恐ろしい事になっているので、たまには加工食品も人工調味料も一切抜きで、やさしい味に。

こぐま達は塊肉よりも挽き肉団子の方が好きなので、つみれ用の半筒(←Amazonリンク)買っちゃった。これが使い初めだったのだけれど、なかなかいい。





2024/08/26

夜警ツアー@Horb am Neckar



町のマルクト広場に夜20時集合の夜警ツアー。
うちの村は、この町に合併されて属しているので、隣町だけれど「うちの町」でもある。しかし、この町がオーストリアのものだった時代があって、ここの噴水に立っているのがハプスブルク家のライオンだとは知らなかったよ!




夜警というのは、娼婦と並ぶ、最も古い職業の一つなのだそう。
ホルプの最初の街灯は1837年で、それ以前は真っ暗な中、不審者、戸締り、火の始末などを見て回り、毎時角笛で時刻を知らせていた。
夜の市街地では、夜警が唯一絶対の権限を持っていたらしい。




市役所と夜警の建物は並んで建っており、夜警の伝統は、1937年に警察に取って代わられるまで続いた。(上の壁画の、右が夜警、左が警察。)
正確に言うと、「警察が『夜警』を名乗っても罰されなくなった」のだそうで、それ位夜警というものは重かったらしい。
皆が胸につけている赤白(銀)のワッペンはホルプの紋章で、建物中央の石の飾りも色が付いていないけれど同じもの。




首から下げている丸いポシェットみたいな物は、夜警の時計。




城門や外に通ずる道は勿論、きちんと閉ざされているか、不審者が侵入しようとしていないかなど、重要なチェックポイント。

街中の道端で酔い潰れている人とか、夜の出来事の面倒も見るので、ちょっと下品なネタ満載のツアー。
あと、「おらが町」愛に溢れているので、近隣都市や隣国を風刺するシャレや小話、歌。例えば「フロイデンシュタット(近くの大きな町)の人を家に入れるより、食卓にネズミが来る方がまし」とか。でもそれが炎上するでもなく、多分どこでも同じような事を言っているし、そもそも向こうの方が大きな町だから強いし(風刺は権力に対してするもので、弱い者叩きはシャレにならない)、皆で笑っておしまい。




監獄に使われていた塔。
城門の塔やお城の窓の雨戸は、どこでも王家や町、州の紋章の色になっている事が多いよ。




段々夜が更けていく中、夜警と共に旧市街を歩くのは、なかなか雰囲気があってよかったし、知らなかった事を聞き知るのは楽しい

余談:
ツアー中に車が一台来た。ちょっと場所を空けて通らせてあげるのかな、と思ったら、夜警の一人に追い返されていたのに、びっくり。強っ。



2024/08/25

Vogtsbauernhof(4)黒い森の生活 P.S.


意外にも興味を示されたので、追加でもう一記事。
説明は裏付けなし、単なる私の感想です。読み流しておいてー。
因みにここの野外博物館では、色々な道具を実際に動かして見せてくれる実演もあるよ。




手前も奥もプレス機。
リンゴは木樽みたいなプレスが多く、手前のこれはアルザスでよく見かけるワインプレスに似ている。この辺はワインには日照が足りないと思うのだけれど。




鍛冶屋さん。左のところに家畜を固定して、蹄鉄を打つのだろう。
右の水車の壁の内側は・・・




こんな風になっている。巨大なふいご!




これも確か水車の力で切る仕組み。




巨大な重石で麻の繊維を潰して・・・




糸を紡ぐ。




我が家のダイニングルームを設計する時、実はここの家々の食堂も参考にしたの。
「家の中で一番明るくて、人が集まりたくなるコーナー」というのが、いいなあと思って。




右手はオーブンで、隣の部屋の暖房にも繋がっているみたい。
日本でも、私が子どもの頃の田舎には、まだ台所が土間の家があったので、何か懐かしい感じ。




これは1960-1970年代位の新しい生活。こういうスタイルの薪オーブン・コンロは、今でも使っている人が時々いる。暖房と兼ねられるし、電気に頼らずに済むというのは、いざという時に強いし。

そして横の棚。EUになる前はここじゃなくても冬に生野菜生果物が乏しくなるのは普通の事だったし、畑をやっていれば収穫期は一気に訪れるので、夏の間にせっせと保存食を作っておくのだ。
私が人生で一番繰り返し読んだ本は恐らく、ローラ・インガルス・ワイルダーの小さな家(←Amazonリンク)シリーズなのだけれど、国は違っても同じような事をしていて、凄く親近感を覚える。
(大分前、冬に「ドイツなのにWeckグラスの品揃えが悪い」と文句を言っている人がいたけれど、そんなの当たり前。ジャムやコンポートの類は夏に作るものだもの。)

また、りんごを保存するために作るりんご酒はこの辺では多分一番手軽な飲み物で、アルコールになりかけの半分ジュースの頃から飲むので、お酒に数えない人も多い。
因みにヘルマン・ヘッセの生まれ故郷は黒い森。「車輪の下」(←Amazonリンク)の舞台も黒い森で、りんご絞りを手伝って恋に落ちるシーンがあるね。

ああ、どちらも久しぶりに読みたくなってきたわ。





2024/08/24

Vogtsbauernhof(3)黒い森の林業


黒い森は元々原始林で、昼間でも暗いので「黒い森」と呼ばれていた。今は針葉樹のみの森が多くなっているけれど、それは伐採し過ぎて後から植えたもの(ナポレオンの命令による植林もあり)。元々一番価値があったのはドイツ樫で、これはドイツのシンボルにもなっている。

ヨーロッパが大航海時代で植民地を作りまくっていた頃のドイツは、植民地どころか分国で国内で揉めていたので全く力がなく、木材の売り先は栄華の極みの真っ只中のオランダだった。アムステルダムの港町や船の大部分は黒い森の木材からできていたと言われている位。




19世紀になって鉄道ができる迄、輸送手段は馬車牛車位しかなかったので、売り物の材木で筏を組んで、それに乗ってライン川を下っていったのだ。
もしそこにライン川がなかったら、そして川下に栄華のオランダという買い手がなかったら、黒い森は栄えなかった訳だな。




黒い森のあたりは
まだ急流なので、小さな筏を列車のように繋ぎ、一両ごとに人が立って筏を操る。これは保存会があって、今でもお祭りに実演したりしている。

下流に行って川幅が広がると、筏をどんどん大きく組み直し、最大で長さ600m、幅80mにもなったとか。
黒い森からアムステルダムまでは約700km、東京から青森くらいの距離。命懸けの長旅による一攫千金のような感じだったのだ。




山から伐採した木は、川のある谷底まで滑り台のようにして落とすのだけれど、落ちる木材は最大時速70kmにもなり、木が跳ねたりする事もあり、これまた事故が多かったという。

信州に住んでいた時もつくづく感じたけれど、気候が温暖で野生の果実があり、海で簡単に魚が獲れるような南国とは、性格が全く違うのよね。
それで、黒い森の峠を越えるとアルザスの豊かな農地が広がっていて、気候は温暖でワイン畑があり、「ああ、そりゃ欲しいわ」という感じ。

ライン川左岸もそうだけれど、この辺りはフランスと激しく取り合いを繰り返してきて、夫の祖母の方言にフランス語が混じっていたり、大戦時にはフランスが見せしめのように報復した土地でもあり、色々と複雑です。





2024/08/23

Vogtsbauernhof(2)黒い森の生活



黒い森の昔の農家の様子を保存再現している野外博物館に行きました。




農家と言っても、冬が長く厳しいため、山を越えたアルザスみたいな豊かな農家ではなく、本当に細々とした自給自足。

 


鉄やガラスは買わなくてはならないから貴重品で、できる限り木で手作りしちゃう。
シュヴァーベン地方人の質実剛健さは、こういうところから培われているのじゃないかな。
そんな中で黒い森を支えたのは林業だったのだけれど、それについてはまた改めて。




前回行ったのは、何と2008年だった!
当時は「もう少し説明書きが多ければ」なんて書いているけれど、今回はもう読み切れない位いっぱい説明書きがあった。

建物はかなり隅々まで入れるようになっているし、「こんなに?」という位、色々触ってもいいようになっている。なので、とても全部は回り切れなかった。




長い冬には、大家族も家畜も納屋も全て一つ屋根の下なので、巨大な家。




冬の間には木工などの手仕事をする。
音は悪そうだけれど、バイオリンまで手作りしちゃう!




木製の鍵の仕組み。




これ、木製の水道みたい!




人懐っこい子で、カメラを舐められないか、ひやひやする近さ。
他にもロバ、羊、山羊、馬、ガチョウ、うさぎ・・・と色々いたよ。




入場料がいるし、子どもには退屈かと懸念して今迄来なかったのだけれど、水場のある遊び場が複数あって、撫ぜさせてくれる動物も沢山いて、あれこれ「触っちゃダメ!」と気を遣わなくて済むので、幼児でも楽しそうにしていた。
しかも、「これでもか」という位あちこちの木陰にベンチやテーブルがあって、お弁当を食べたり休憩したりする場所を取り合わずに済むの、凄くいいと思った。ピクニック気分で、丸一日遊べるわ。

建物や敷地の維持手入れは勿論のこと、これだけ体験型にしたら清掃や修理も大変だろうし、これなら入場料は全然高くないと思った。